まず米、そして野菜

最初は離乳食の記録、途中からは読書の記録。

ミクロネシアの薫風。「ぶたぶたくんのおかいもの」土方久功 著

まず、表紙を見てほしいわけです。だだ漏れる味わいを見てほしい。リアルな顔とデフォルメされた胴体がアンバランスな豚を、大胆なんだか弱々しいんだか分からないヘロヘロの題字を見てほしい。買い物かごの中のほがらかな人面の物体(パンです。「かおつきぱん」といいます)を見てほしい。私はもう、このへんのひとつひとつに、のっけから惹かれてやまないわけです。 

ぶたぶたくんのおかいもの

ぶたぶたくんのおかいもの

 

ぶたぶたくんは、歩くときに「ぶたぶた、ぶたぶた」というので「ぶたぶたくん」と呼ばれています。ぶたぶたと口に出してみてほしい。この妙な気持ち良さを感じてほしい。私とコハシも「ぶたぶた、ぶたぶた」と言ってしまう。ぶたぶたくんはぶたぶたくんという呼び名が定着しすぎて、母親もほんとの名前は忘れてしまった。ここでタカハシは毎回「ひどい!」と呻いてコハシは笑う。しかしぶたぶたくんたちは全く構っていない。ぶたぶたくんのお母さんは、愛情たっぷりに「ぶたぶたくん」と呼びかける。

のぶたぶたくんのお母さんが、びっくりするくらいオシャレだ。頭にはおおぶりの花飾り、服はクラシカルなワンピース。上品な紫で全身を装っている。ぶたぶたくんにそっくりの「豚そのもの」のお母さんが、紫のドレススーツを着て、しかも似合っている。お見せしたい。この美しいマダムをお見せしたい。

この調子で私のお気に入りを書き綴るときりがないんですが、どうしましょうね。読んでいて、隅から隅まで楽しくてしかたない。

この絵本は、作者の好きなものをありったけ詰め込んでつくった箱庭みたいだ。画面には、脈絡なくヘリコプターが飛んでいる。飛行機も飛んでいる。富士山みたいな山がある。湖があって、畑があって、森がある。おおらかな造形の、個性豊かな住人たち。巨石文明の美術品を思わせる「かおつきぱん」。思わず口をついて出る、リズミカルな文章。それらぜんぶが、近所をお買い物して歩くだけの小さなおはなしの中に、気持ち良くおさまっている。

絵本の終わりに描いてある地図がまた楽しくて、というか巻末に地図がある絵本はみんなそうだと思うのだけれど、そこまで点で追いかけてきた物語が地図上の流れとして知覚できる気持ちよさ、平面の地図から物語が立ち上ってくるような豊かさがある。コハシは、この本を数回読むうちにすっかり地図を把握した。どこにどの店があって、ぶたぶたくんになにが起きて、だれとなにを話して……と、地図を指でなぞりながら物語を振り返る。その日、コハシが物語をどんなふうに楽しんだかが伝わって、私も楽しい。地図の上を、みんなで一緒に、「ぶたぶた、かあこお、くまくま、どたじた、どたあん、ばたん」、と進む。

この世界はどこにあるんだろう。作中からは読み取れないのに、私はここに南の島の雰囲気を感じる。作者がミクロネシアに長く住んでいたことを、この本を読む前から知っていたからかもしれない。

Satawal AKK cropped.jpg
By Satawal_AKK.jpg: Angela K. Kepler derivative work: Viriditas (talk) - Satawal_AKK.jpg, Public Domain, Link

この本の作者、土方久功は、第一次世界大戦後の1929年から、第二次大戦の戦渦に太平洋が呑み込まれる直前の1942年まで、ミクロネシアに滞在していた。特に長く住んでいたのは、サタワル島(土方の表記に従えば「サテワヌ島」)という小さな島だ。ミクロネシア連邦の真ん中あたりに位置するこの島は、地形の関係で、大きな船が出入りできるような港がつくれない。列強が南洋を奪い合い、島々に異文化が流入する時代にあっても、サタワル島ではもともとの文化がよく保たれていた。土方はその島で7年間を過ごし、彫刻や絵画や詩を創作しながら、島の人々から民俗資料を採集し、記録した。

サタワル島は1平方キロメートルしかないとても小さい島だけれど、島民たちは独自のカヌーと航海術で、広大な海を自在に動き回った。この絵本の、箱庭のように小さな世界と、そこから感じる吹き抜けるような風通しの良さは、サタワル島のありかたに重なるように私には思える。

土方が手がけた絵本は私の知る限り4冊。うち1冊(『おによりつよいおれまーい』)は、サタワル島の昔話を描いたものだ。でも、私は『ぶたぶたくんのおかいもの』にこそ、南洋の空気を強く感じる。なんでなのかなあ。この絵本には、海はまったく出てこないのに。

完全に余談ですが、大阪の国立民族学博物館オセアニア展示の目玉のひとつ「チェチェメニ号」はサタワル島のカヌーです。こんな小さな船でサタワル島から沖縄まで航海したというのだからすごい話だ。それと、チェチェメニ号の後ろで見切れているモアイがとても「かおつきぱん」っぽい。

www.minpaku.ac.jp

土方久功その人の来歴も、とても不思議で魅力的だ。

この方の名前を私が知ったのは、なにかの調べもので、昭和初期のパラオの資料を見ていたときだった。当時のミクロネシア群島は日本の統治下にあって、中心地となったパラオコロール島には、政府機関である「南洋庁」や、研究施設の「パラオ熱帯生物研究所」、NHKの前身の支局である「パラオ放送局」、民間企業などが集まっていて、多くの日本人が駐留していた。日本から遠く離れた地に赴任した人々は、職種を越えて交流し、一種のサロンのようなものを形成していたという。

その、生物研究所の研究者らとよく交流していた人物の中に、「土方久功」の名前があった。土方がサタワル島を出て、コロール島に移り住んだ頃の話だ。

そのときどの資料を見たのか分からなくなってしまったのだけれど、確かそこでは「南洋庁の嘱託職員」という肩書きで出ていたように思う。現地語を解し、現地の事情に明るく、島の民芸品や美術品などの収集と管理を任されていた人物、として登場していた。

ところで、当時の南洋庁には『山月記』で知られる中島敦も文官として赴任していた。中島の短篇紀行集『環礁』には、土方が「土俗学者H氏」の名で登場する。

H氏は今パラオ地方の古譚詩の類を集めて、それを邦訳しているのだ

(略)

私の変屈な性質のせいか、パラオの役所の同僚とはまるで打解けた交際が出来ず、私の友人といっていいのはH氏の外に一人もいなかった

中島敦 環礁 ――ミクロネシヤ巡島記抄――

仲良しー! どれくらい仲良しかというと、お互いに日記や草稿を見せ合うほどの仲良しだ。そして、一緒に南洋庁を辞して帰国してくるくらいの仲良しだ。土方の日記や著作では、中島は「トン(敦)ちゃん」と呼ばれている。微笑ましい。

中島の著作にも影響を与えたという土方の日記は、現存するものはすべて国立民族学博物館に収蔵されていて、戦前・戦中に書かれた31冊が『土方久功日記』として翻刻、出版されている。32冊目は、帰国した年の暮れ、中島が亡くなったころに書かれたはずだけれど、これだけが行方不明なのだそうだ。土方の生涯をまとめた本『土方久功正伝』の最後には、

この日記第32冊の所在が不明のままとなっていることは、残念でならない。この日記は土方久功研究、中島敦研究の貴重な資料となる。もし、土方久功日記第32冊の所在について、どなたかお心当たりの方がおられれば、お知らせいただきたい。

 とあった。これは見つかってほしい。もしご存じの方がいらしたら、著者の清水久夫先生や国立民族学博物館にご一報を。

帰国後の土方は、柳田国男金田一京助の知遇を得て民俗資料を編纂したり(『サテワヌ島民話』など)、木彫レリーフの個展を開いては高村光太郎に「現代化した原始美」と評されたりと、様々に活動していたけれど、絵本を手がけたのはずいぶんあとで、おそらく60歳を越えてから。福音館書店の編集者、松居直(『だいくとおにろく』の人だ!)に請われてのことだという。

……ここまでのことを知ってはじめて、私は「へえ、どんな本なんだろう」と本屋に行き、『ぶたぶたくんのおかいもの』に出会うことができた。もっと早く、小さいころに読んでみたかったなあ、と思う。たとえば、親におかいものを頼まれるくらい子供だったころに読んでみたかった。

まだ読んでいない人にはぜひ読んでほしいです。この奇妙で、風変わりで、楽しくて、気持ちのよい本を見てください。パン屋のファンキーなおじさんを見てほしい。八百屋のアヴァンギャルドなお姉さんの、鮮やかなオレンジのスーツ姿を見てほしい。お姉さんのせりふは早口で音読してほしい。そしてお菓子屋さんのおばあさんのせりふはゆーーーーっくり音読してほしい。こぐまくんに「ここまできたら、このまま さきへ いくほうが ずっと ちかみちだよ」と言われたときの奇妙さを味わってほしい。買い物かごをさげたカラスを、なんともいえない「かおつきぱん」を、見てほしいのです。いいから。とてもいいから。かおつきぱん、パンなのに顔が微妙に動くから。このパンを食べると思うとちょっと躊躇するな……でも食べてみたい……ぶたぶたくんが買った「いちばんのかおつきぱんのじょうとうぱん」を食べてみたい……。

このまま書いていると止まらないので、この辺でやめます。

ばあい。(←ぶたぶたくんの別れの挨拶)

土方久功正伝―日本のゴーギャンと呼ばれた男

土方久功正伝―日本のゴーギャンと呼ばれた男

 
南海漂泊―土方久功伝

南海漂泊―土方久功伝

 

怖いオオカミと、図鑑のティラノサウルスについて。 「おまえうまそうだな」「きみはほんとうにステキだね」宮西達也 著

前回の恐竜図鑑の続き。

コハシは、図鑑を読んだり動画を見たりしているうちに、肉食恐竜と草食恐竜を見分けられるようになった。見分けが付くと楽しいよね。恐竜図鑑を見ていても「これは肉食、これは草食」と口に出して、「合ってる?」と大人に確かめては得意げにしている。滅多に外さない。すごいすごい。

ところが、あるときから「これは肉食だから悪いやつ」「これは草食だからやさしい」と言うようになった。

おっ、そう来たか、と思った。

コハシがその言い回しをするようになったきっかけは、保育園で借りた宮西達也さんの恐竜絵本だ。散々恐竜コンテンツに触れてきた中で、初めての変化だった。それだけ鮮烈な印象を受けたんだろう。

私たちが読んだのはこの2冊。 
どちらも主人公はティラノサウルス。肉食恐竜だ。

おまえうまそうだな (絵本の時間)

おまえうまそうだな (絵本の時間)

きみはほんとうにステキだね (絵本の時間)

きみはほんとうにステキだね (絵本の時間)

この2冊には、肉食恐竜は凶暴で狡猾、魚食・草食恐竜は善良で純真という「お約束」がある。物語は、この「お約束」を前提に展開する。物語のはじめ、主人公のティラノサウルスは「あばれんぼうでいじわるでずるくてじぶんかってなきょうりゅう」だし、途中で出てくる脇役の肉食恐竜も、同じような性質の生きものとして描かれる。

2冊の物語は、それぞれ筋は違えども、主人公が「あばれんぼうな恐竜」という枠組みをはみ出して、「やさしい恐竜」と触れ合うことで思いやりを獲得していく、という流れになっている。

主人公の改心は、ほかの恐竜をいじめること(≒狩り)をためらったり、優しくしてみせたり(≒捕食しない)と、肉食恐竜としての行動を否定することで表される。その上、主人公のティラノサウルスは、木から採った「赤い実」を食べさえもする。この「赤い実」を介して、主人公と「やさしい恐竜」との関係はますます深まっていく。

これらのエピソードのひとつひとつが、力強い絵柄と相まって、とにかく説得力が強く、印象的なのだ。

コハシさんが「肉食恐竜イコール悪いやつ」となったのも分かる。よく分かる。……分かるけど、どうしたもんかなあ。

昔話でおなじみの、怖いオオカミ、ずるがしこいキツネ。物語の中でなんらかの性質を仮託された「オオカミ」と、図鑑に出てくるオオカミ、実際に生きているオオカミは違うはずだ。でも、なにがどう違うんだっけ。なんて説明したらいいんだろう。そもそも説明する必要があるんだろうか。「ティラノサウルスが暴れん坊だっていうなら、エラスモサウルスもなかなかの暴れん坊だったと思うよ」とでも伝えるの? それに、あの赤い実、両者の関係性を象徴する道具立ての意味合いが強いあの「赤い実」も、「ほんとのティラノサウルスは植物食はできないんだよ。でも、食べられなくても悪いやつってわけじゃないんだよ」とか言えばいいのかな? 無粋じゃない? 無粋な上に本質から外れてない?

結局、私は、「ええと……肉食だから悪いやつってわけじゃないんだよ……むにゃむにゃ……」みたいなことしか言えなかった。

そんな寝言みたいな言葉でコハシに伝わるか! 相手は映画化したくらい強い物語だぞ!

 

伝わりませんでした。

伝わらなかったけど、ほかの恐竜絵本をいろいろと読んでいるうちに、ひとりでに「肉食恐竜だから悪いやつ」と言うことはなくなりました。

恐竜図鑑つれづれ。「講談社の動く図鑑 MOVE 恐竜」・「学研の図鑑 LIVE 恐竜」

私の実家はお年玉に図書カードを用意する。現金よりも、ピーターラビットのカードのほうがかわいいからだ。コハシも毎年図書カードをもらっている。今までは使わずにとっておいたけれど、今年、初めて使うことにした。数年分のお年玉を全部まとめて財布に突っ込み、コハシと本屋に行って、「さあ! なんでも好きな本を1冊選んでおいで!」と伝えてみた。大人用の本でもいいし、おもちゃがついた本でもいいよ。きょうは、コハシが選んだものを、買います。なぜならこれはコハシのお年玉だからです。分かりましたか? コハシは「はーい!」と元気よく答え、子供の本売り場に突進した。
 
そしてコハシがえっちらおっちら持ってきたのがこれ。
DVD付 恐竜 (学研の図鑑LIVE)

DVD付 恐竜 (学研の図鑑LIVE)

 
 
ちなみに、うちには既にこういう本がある。
恐竜 新訂版 (講談社の動く図鑑MOVE)

恐竜 新訂版 (講談社の動く図鑑MOVE)

 

 

図鑑はコハシには重い。それを大事そうに抱きかかえて、キラキラした目で「これがいいの。おうちのとならべて、おみせやさんごっこするの」と言う。いやー、通なチョイスだなー。いちおう、もう一回、お店の中をぐるっと回って、ほかの本も見てみようか。 ……どう? どれにするか決めた? そうかー。やっぱり恐竜図鑑かー。

 

そういう経緯で、うちには恐竜の図鑑が2冊ある。

 

昨年度は、保育園のクラスの貸し出し図書にも恐竜図鑑があって、コハシたち恐竜キッズが争うように何度も借りていた。古い図鑑で、書名は忘れてしまったけれど、1980年ごろの版だったと思う。園児たちの長年の愛で本はボロボロで、ほとんどのページがテープで補修されていた。ただでさえ重く分厚い図鑑が、頑丈な補修テープで嵩を増しているわけで、恐竜キッズの親たちは(頼む、今日は図鑑を選んでくれるな)という気持ちで本を選ぶ子供らを見守った。本を好きになってくれて嬉しい。でも母ちゃん、帰りにお肉屋さんに寄りたいんだ。きょうは濡れたお布団も持って帰らなきゃいけないんだ。……どう? どの本を借りていく? そうかー。きょうも図鑑かー。 
 
そして問題は寝る前の読み聞かせである。
 
コハシは当然、恐竜図鑑2冊(もしくは3冊)全部を寝る前に読んでほしいなどと言ってくる。そこをなんとか交渉して1冊に減らす。そして、コハシの読んでほしいページから、ひたすら文字を拾って読んでいく。添い寝しながら読むときは、本の重みで腕がプルプルする。いろいろと体勢を変えてみても、どうしても図鑑を持ち上げなければいけないのだ。えーと、きょうもアンキロのところから読むのね。では行きます。鳥盤類、よろい竜類、アンキロサウルスのなかまそのいち、進化した大型のよろい竜のグループで、ジュラ紀後期から……(略)、ガーゴイレオサウルスは3メートル、最も初期に現われたよろい竜で(略)、ゴビサウルス(略)、ミノタウラサウルス(略)、サイカニア(略)、タルキア(略)、シャモサウルス(略)、ユーオプロケファルス(略)、タラルルス(略)、ピナコサウルス………………もう眠いでしょう?  もういいんじゃない? まだ? まだかー。
 
こんな感じで、図鑑の読み聞かせをリクエストされたときは、コハシが満足するところまで、あるいはコハシが寝落ちするまで続けることになった。
 
でも、それから1、2カ月後には、夜の読み聞かせに図鑑を選ぶことはなくなった。短期間で顕著に好みが変化したので、タカハシと二人で首をかしげつつ面白がった。ちょうど同時期にストーリーもののアニメや動画をより楽しむようになった(それまでは途中で飽きてしまって最後まで見ないことが多かった)から、読み聞かせの本も、筋書きがあるほうがいいということになったのかもしれない。
 
いま、図鑑は、一人遊びのときにペラペラとめくって楽しんでいる。自分の好きなペースでページをめくりたいようだ。たまに「パラサウロロフス、どこにかいてあるの」などと、お目当てのページを大人に探させたりする。コハシがカタカナを覚えて自分で読めるようになったら、また図鑑との付き合い方が変わるんだろうな。
 
 
〈余談、そして2冊の比較〉
なぜ最初に『MOVE』の図鑑を持っていたのか。私たちが図鑑を手にしたころ、『LIVE』シリーズは「乗り物」系の巻が出ていなかったからです。『LIVE』の付録DVDに使われているのは、BBC制作の映像。BBCはイギリスの放送局なので、日本の電車の映像資料はなかったんでしょう。その点『MOVE』シリーズはNHK制作の映像を使っているので、初期から「鉄道」の図鑑が出ていました。うちはまずDVD目当てでそれを買い、その流れで恐竜のほうも『MOVE』を買っていたのでした。のちに出た『LIVE』の鉄道図鑑は学研オリジナル映像を使っているそうで、ご苦労がしのばれる。
  
学研『LIVE 恐竜』の監修者は、国立科学博物館真鍋真先生。絵本ブログらしくご紹介するならば、真鍋先生はバートン『せいめいのれきし』改訂版 の監修をされた方です。
講談社『MOVE 恐竜』の監修者は、北海道大学の小林快次先生と真鍋先生のお二方。子育てブログらしくご紹介するならば、小林先生は、NHKラジオ『子ども科学電話相談』での恐竜キッズとのガチ問答でおなじみの、あの先生です。
真鍋先生は両方とも監修されているわけで、恐竜キッズへの恩恵やばい。
  
両方ともといえば、『MOVE 恐竜』にも『LIVE 恐竜』にもイラスト提供者に小田隆先生の名前があって、「おっ」となりました。神保町ヴンダーカンマー、毎年楽しみにしています。今年ももうすぐだなー。
『LIVE』のほうは、リアルな復元図以外にも愛らしいデフォルメ恐竜イラストがふんだんに使われていて、巻末を見ればいずもり・ようさんえるしまさくさんのお名前。なるほど俺特。
 
それぞれの恐竜の解説は、アイコンや図で視覚的に情報を提示する『MOVE 恐竜』に対し、『LIVE 恐竜』は文字情報がこころもち多め。『MOVE』は図の意味が分かれば字が読めない人でもなんとなく分かるし、『LIVE』は情報コーナーの読み物が「さすが学研」という楽しさ分かりやすさ、という感じです。
 
大きさは、『LIVE 恐竜』のほうが紙面が大きく、『MOVE 恐竜』のほうが厚みがあります。どちらもずっしりと重く、表紙は硬く丈夫で、足の上に落とすと同じくらい痛いです。

もっと振り回されたかった。「アル どこにいるの?」バイロン・バートン 著

ポップな絵柄とカラフルな色彩の絵本。犬の「アル」が迷子になってから、飼い主の男の子に再会するまでの顛末が、言葉少なく描かれています。童話館ぶっくくらぶでは1〜2歳向けに配本されているとか。明るく、楽しい絵本です。

だから今からここに書くことは、私の身勝手な感傷でしかありません。私の義妹、犬橋の話をします。

アルどこにいるの?

アルどこにいるの?

 

犬橋は、タカハシの実家にいたビーグル犬です。コハシが生まれた時には既にかなりのおばあちゃんで、コハシが一緒に遊べる頃にはもっとおばあちゃんになってしまって、それでもよく付き合ってくれました。いろいろ患いながらも、 ずっと元気でいてくれて、数年前の夏の夕方に眠りにつきました。17歳でした。

犬橋がいなくなってから初めて帰省したのは、その年の暮れでした。荷造りのとき、持っていく絵本をコハシに選ぶように言ったら、乗り物の本を数冊と、この本を本棚から持ってきました。

それらを荷物に詰めてタカハシの実家に行くと、義父が犬橋のお墓に案内してくれました。庭の端っこの、日当たりの良い、道がよく見えるところに、犬小屋のミニチュアのようなものができていて、中に犬橋の好物が供えられていました。
「犬橋はいつもここで道をパトロールしていたからなあ」と義父が言い、
「犬橋、寝ちゃったから、もうお散歩しないんだよねー」とコハシが言いました。

夜、客用布団に寝転んで、この本をコハシと読みました。義母はいつも、私たちのために、よく日に当てたふかふかの布団を用意してくれます。シーツも洗いたてです。犬橋はその布団が好きでした。義母の目を盗んでは、真ん中の一番ふわふわのところに寝転がって、ぺたんこに潰して、シーツを毛だらけにしました。よだれも付けました。犬橋のよだれは、ちょっとなまぐさい。それで義母にいたずらがばれます。犬橋は爪をチャッチャッと軽やかに鳴らしながら義母から逃げて、タカハシや義父の後ろに隠れました。逃げ足はのんびりでした。

この絵本の「アル」の走りは速そうです。垂れ耳を翻して、男の子と力いっぱい遊んでいる。絵本は、夢中になって遊ぶうちにお互いを見失うところから始まります。

見開きの左側のページに男の子。右側にアル。ばらばらになってしまった二人の様子が、同時進行で描かれます。それぞれが不安げに一夜を過ごし、明くる日はお互いに街中を走り回る。1ページ前に男の子が迷い犬の貼り紙をしたと思ったら、次のページではその貼り紙の前をアルが走り過ぎるという具合に、韓国ドラマと見紛うすれ違いを見せます。コハシからは「ここ、さっき男の子がいたのに見えなかったのかなあ」「なんで待たないの?」とコメントが飛んできますが、地の文がない絵本なので、都度てきとうな話をつくって答えます。

アルの傍若無人な走りに周囲はどんどん巻き込まれて大変なことになってしまうのですが(自分がこの子たちの親だったらと思うと恐ろしい。謝罪……弁償……)1人と1匹はそんなことおかまいなし。お互いの姿を見つけて脇目も振らず駆け寄ります。抱きつく男の子。飛びつくアル。2人の嬉しそうな顔と言ったら!

犬橋とコハシがこんなふうに遊べたのは、ほんのわずかの時間でした。コハシは幼すぎたし、犬橋は歳をとりすぎていた。貴重な時間だと分かっていたから、2人に振り回されるだけで私たち大人は嬉しいばかりでした。でも、この絵本の大人たちのように、嫌になるくらい振り回されてみたかったなあとも思います。犬橋とコハシのいたずらに、義母と私で「まったくもう!」と怒ったりしてみたかった。私たち大人そっちのけで楽しそうにくっつく犬橋とコハシを、もっと見ていたかった。

コハシがふかふかの布団に埋もれるように寝入ったあと、布団の匂いを嗅いでみました。いくら嗅いでも、どこからも、いい匂いしかしませんでした。

鬼六の大工が、ヴィンランド・サガのクヌートの敵方だった、というお話。「だいくとおにろく」松居 直 再話、赤羽 末吉 絵

記事がだらだらと長くなってしまったので先に結論を書いておくと、民話『大工と鬼六』の元ネタの主人公は聖王オーラヴ2世で、クヌート大王(『ヴィンランド・サガ』のクヌート)率いる侵略軍に王座を奪われたノルウェー王だった、という話です。ヴィンランド・サガにオーラヴ2世が直接出てくるわけではない(見落としている、もしくはこれから出てくるかもしれない)ので、正直タイトル詐欺である。のっけから申し訳ありません。

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写真のコアラはコアラっぽくない。「どうぶつえん  ポプラ社のどうぶつずかん (4)」大高成元 写真

この本は、数年前、タカハシの実家への帰省中に、近所の古本屋さんに行って買ってきたものだ。 タカハシ家には絵本がない。そりゃそうだ、大人ばかりの家に絵本があるほうが稀だ。そのことを、すっかり忘れて、持っていくのを忘れてしまった。それで買いに行ったのだった。実家に置きっ放しにするにしろ、自宅に持って帰るにしろ、小さいほうが良かろうということで、手のひらサイズのこの本を選んできた。

パンダ、キリン、ライオン、シマウマと、おなじみの動物が取り上げられた写真絵本だ。絶版。この手の本は次々と新しいものが出るから、いま本屋さんに行けば、最新の写真が使われた、似たような本が手に入るはずだ。ともあれ、私たちが手に入れたのは、たまたま入った古本屋にたまたま置いてあったこの本で、狙って買うほうが難しいことを考えると、ちょっと面白い。機会があれば、新しいものと見比べてみたい。

作者は動物園動物の写真が専門の写真家さん。文章はなく、読むというより見る本だ。 

当時コハシはまだ1歳かそこらで、写真の絵本はこれが初めてだった。動物園に行ってもまだ反応が薄い頃だったから、当然、この本への食いつきも悪い。背景によく馴染む体色の、ゾウ、タヌキ、ニホンザル。絵本と違って、目鼻立ちも分かりにくいし、表情もない。特にコアラは、デフォルメされたイラストと実物とは余りに違う。写真のアフリカゾウが、お馴染みの「ぞうさん」と同じ生き物だと、ちゃんと伝わっただろうか。

義母は、ほぼ無反応のコハシを相手に、「ほらー、ぞうさんだよー。パオーン」と、嬉しそうに、全力で、読み聞かせをしてくれた。ありがたい。タカハシから、義母は本が好きではないと聞いている。読み聞かせに慣れていないとも。写真だけのこの本なら、義母も一緒に楽しめるかもと思ってはいたが、私が何も言わないうちから、一生懸命読み始めてくれて、なんかもう、コハシがこの絵本を気に入らなくても、この景色が見られただけで満足だわあ、という気分になった。

その後、この本は自宅へ持ち帰った。何度か読み聞かせるうちに、コハシは最後の「どうぶつのおいしゃさん」のページにだけ、良い反応をするようになった。獣医師と思われる男女が、チンパンジーの赤ちゃんに、聴診器を当てたり、ミルクをあげたりしている様子が写っている。後々よく話を聞くと、「この子、動物園で具合が悪くなっちゃったんだねえ」などと言う。なるほどそういう理解だったのか。 

どうぶつえん (ポプラ社のどうぶつずかん (4))

どうぶつえん (ポプラ社のどうぶつずかん (4))

 

 

↓同じ出版社・同じコンセプトの新しい本はこっちかな。 

どうぶつえん (てのひらしゃしんえほん)

どうぶつえん (てのひらしゃしんえほん)

 

 

 

1000000000000匹の猫のバトルロワイヤル。「100まんびきのねこ」ワンダ・ガアグ 著、石井桃子 訳

前回の更新からずいぶん間が空きました。それというのもコハシの保育園が絵本の貸出を始め、急に読む絵本の種類が増えたからです。読んでいる。凄い勢いで読んでいる。そして記録がちーとも追いつかない。しかたない。しかたないんだ。 

最近のコハシは物語を物語として楽しめるようになり、「長い絵本がいい」と文字が多めの絵本を選ぶようになりました。まだ自分では読めないので、その「長い絵本」は、私が音読することになります。コハシは注文が多い。早口で読めばクレームが付いて、最初から読み直しです。とにかく厳しい。 

この『100まんびきのねこ』も、文字が多そうだという理由で保育園から借りてきた。 

100まんびきのねこ (世界傑作絵本シリーズ)

100まんびきのねこ (世界傑作絵本シリーズ)

 

主人公は、表紙中央に描かれているおじいさんだ。猫を飼いたいおばあさんのために、おじいさんは猫を探しにゆく。表紙以外の絵は白黒で、細い線でみっしりと描かれている。見開きいっぱい、いくつもの丘を越えて細く長い道が蛇行している絵は、見ているとどこか不安を覚える。落ち着かない。 

その道の先にいるのが、“ひゃっぴきのねこ、せんびきのねこ、ひゃくまんびき、一おく、一ちょうひきのねこ”だ。驚くおじいさんの前に、見渡す限りにひしめく、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。

異様である。 

先が気になって、コハシがうとうとしているのをいいことに無言でページをめくったら、その時だけカッと目を開いて「読むの早い!」と叱咤してきた。厳しい。 

おじいさんはどの猫もきれいでかわいく思えてしまって、”そこにいるねこをみんなひろいあげて、つれていくことに”なってしまう。気持ちは分かるが安易な多頭飼いは不幸のもとだぞ。大丈夫かおじいさん。黒くねっとりとした線描も相まって、話運びにも不穏な空気が漂う。なんだろう、この本は。不気味なのにユーモラスで、目が離せない魅力がある。

この独特な世界を描いた作者がアメリカ人だと知って意外に思い、出身地が東欧系移民が多い地域だと知って、なるほどそれでこの作風なのかしらと分かったような気持ちになった。“ガアグ(Gág)”という聞き慣れない名字は、ボヘミア出身の父親のものだそうだ。

リトグラフにも手描きにも見えるけど、なにで描かれているんだろうなあ。日本語だけではよく分からなかったので、どなたかご存じでしたら教えてください。私に分かったのは、この本が1928年に出版されたことと、どうやら初めて見開きで描かれた絵本だということ。なんてこった。エポックメイキングな1冊ではないですか。

物語は、見開きをうねるように流れながら、怒濤の展開を見せる。おじいさんちの飼い猫の座を賭けて、“ひゃっぴきの(略)、一おく、一ちょうひきのねこ”が、一斉にけんかを始めるのだ。画面いっぱいにひしめきあう猫のけんかシーンはさながら黙示録、その大騒動ののちに大量の猫は突然消えうせ、周囲は静まりかえり、残ったのはたった1匹。……バ、バトルロワイヤルだー。

その後の絵からはすとんと不気味さが抜けて、左右対称の安定感のある構成になり、残った子猫の姿は平和そのもの、最後のページの寝姿は特に愛らしく、印章の柄のように落ち着いて見える。見れば見るほどよくデザインされた絵だなあ。

うとうとしていたコハシは、この怒濤の展開をどう聴いていたのか、はたまた聴いていなかったのか、最後に残った子猫について「なんでこのねこ汚れてたの?」と言い、「なんでかは分からないけれど、いまはご飯をたくさん食べて、元気になって、よく寝ているね」と最後の寝姿を見せながら応えたら、納得したのかもごもご何かを呟いて、こてんと寝ました。

 

www.wandagaghouse.org

↑作者の生家が資料館になっている。作品の概要なども。

Wanda Gág papers, 1892-1968

ペンシルベニア大学のワンダ・ガアグ紹介ページ。英語。ここをちゃんと読めば私の知りたいことが書いてありそうな気がするがまだ読んでいない(読めない)。