まず米、そして野菜

最初は離乳食の記録、途中からは読書の記録。

赤子にばかりかまけてはいけない。「とびだす! うごく! のりもの」 わらべきみか 著

これも神保町ブックフェスティバルで母が買ってきたしかけ絵本だ。手のひらサイズの小ささながら、しかけに関しては、前述の「ごあいさつ」「じどうしゃがいっぱい」と比べると本格的で、題の通りに本当に「とびだす」し、「うごく」。はしご車のページを開けば、はしごが勢いよく伸びる。クレーン車が鉄骨を引っ張り上げる動きもよくできている。「うまいこと作るものだなあ」と何度もぐにぐに動かした。

このタイプの本は、傷まないようにビニールカバーで個装されて売られている。母が買ってきてくれた当初、コハシは1歳だったか2歳だったか、とにかく「コハシ・ザ・破壊神☆」というお年頃だったので、落ち着いて読める時がくるまで袋をかけたまま置いておこうということになった。コハシの手が届かないように、本棚の高いところに置いた。

ところで、私の実家には、諸々の決まりごとを天然ボケで吹っ飛ばすジョーカーキャラが生息している。私の父だ。

父は、この本を隠すに至る私と母のやり取りを見ていたはずだが、忘れてしまったのか、はなから聞いていなかったのか、この本をコハシに渡してしまった。目新しい絵本ならもっと手の届きやすい場所に何冊もあったのに、わざわざ奥に隠した絵本を見つけ、持ち出し、袋を開けて、コハシに渡してしまうところに、私の父のミラクルさがある。

破壊神であるとともに乗り物スキーでもあるコハシは、当然大喜びし、力一杯ページをめくろうとした。間一髪のところで止めたのは母だ。紙のはしご車の華奢なはしごは、ゆるく折れ曲がるだけで済んだ。

その後、この本は厳重に管理され、数ヶ月前にようやく解禁された。コハシは特に救急車とゴミ収集車が気に入って、「この人(救急車に運び込まれたケガ人)、どうしたの? 痛いの?」「ごみしゅうしゅう、ゴーーー(ごみを回収するときの機械音のものまね)」と楽しそうに喋りながらページをめくっている。いやあ成長したものだ。よかったよかった、とコハシが好きに読むのに任せていたところ、昨晩、コハシが「破けちゃった……」と悲しそうにこの本を持ってきた。幼稚園バスのしかけがどうなっているのか見たくて無理に覗き込んだら、切れてしまったらしい。最近のコハシは、しかけや仕組みを確認したり、ネジを外して分解したりするのが大好きなようだ。破壊神から脱却したと安心していたが、別のステージに移行しただけだったらしい。

とびだす!うごく!のりもの (てのひらえほん)

とびだす!うごく!のりもの (てのひらえほん)

 

 

再挑戦とダイ・ハード。(「アナと雪の女王」2回目)【追記あり】

喜ぶかと思ったんだけど。 「アナと雪の女王」(映画 2013年) - まず米、そして野菜 の続き。ネタバレあり。

薬局で買い物をしていたら、コハシが歯ブラシ売り場の前でしゃがみ込んで動かない。「アナと雪の女王」がプリントされた歯ブラシが買いたいのだという。売り場にはコハシの年齢に適したサイズがなかったので、アンパンマンはどうだトミカはどうだとコハシの好みそうな代案を出してみたが、靡かない。「そんなに好きならまた映画を見るかい」と何の気なしに言ったら、「見る! どこ、どこで見るの」と前のめりになった。前回は雪のモンスターを見て震え上がっていたのに大丈夫か。家に帰っても「ありのーままのー早く見たい」と言い続けるので、急遽、タカハシ(アナ雪未視聴)も加わっての鑑賞会となった。

コハシは、大丈夫だった。問題のシーンはさすがに怖がったけれど、続きを見たい気持ちの方が勝ったらしい。タカハシがそばにいるのが心強かったのかもしれない。タカハシはコハシの怖がる姿を期待していたので、ちょっと残念そうだった。映画が終わる頃には、満足したのか飽きたのか、でたらめな歌を歌いながらおもちゃで遊んでいた。

見終わって、タカハシに感想を聞いてみた。タカハシは「面白かったと思うけれど、話の途中でなぜ歌い踊るのか全く理解できない」と顔をしかめた。彼らはなぜ、普通に話せないのか。なぜ過剰に動き、踊るのか。そこで引っかかってしまうので、自分はミュージカルを自然に楽しむことができないという。そんな根本的なところからだめかー。

そんなタカハシの隣ではコハシがでたらめな歌を歌っており、妻であるところの私はコハシの歌に合わせて踊っている。過剰に歌い踊る人間×2名と一緒に暮らしているのに、まだ慣れないのか。難儀な人だ。

それからタカハシは「ハンスはラスボスの名前だ。ダイ・ハードの昔から決まっている」と妙な持論を開陳すると、一人で黙々とアラン・リックマンのものまねをしはじめた。タカハシはダイ・ハードが好きだ。特に1作目のダイ・ハードが好きだ。たぶん急に歌ったり踊ったりしないからだと思う。

 

【追記・おわびと訂正】

タカハシから修正依頼入りました。「アラン・リックマンのものまね」とあるのは、「ジョン・マクレーンの日本語吹き替えのものまね、野沢那智バージョン」の誤りでした。人のこだわりを軽んじるなとのことでしたので、おわびして訂正します。日曜洋画劇場で見たんだな、タカハシ。

監督不行届。「じどうしゃがいっぱい」シンディ・チャン著、リンダ・ハワード絵

母が神保町ブックフェスティバルで買ってきた本のうち、1年くらい寝かせていたものの一つ。表紙に「おりたたみしかけえほん」 とある通り、本文は蛇腹状に折りたたまれている。本の横幅は17㎝くらい。1ページに1台の車が描かれていて、それが10台繋がっているから、つまり、全部広げると約170㎝だ。長い。

それぞれの車にはフリップが付いていて、めくると車の内部が見られるようになっている。仕掛け自体はとてもシンプルだ。トラックの荷台の馬、移動図書館の中にぎっしり積まれた本が、細やかな線で描かれている。

このフリップが、いかにもコハシが破り取りそうなつくりだったので、「すぐに破壊しないようになるまでは…」と最近までしまっておいたのだ。が、すでにごみ収集車のフリップは無い。いつからだろう。母曰く、「B品で安かったから最初からなかったのかも」。なるほどそんなことがあるのか。

それぞれの車についている説明書きは、短いながら面白い。コハシに邪魔されてゆっくり読めたためしはないが、「へえ」と感心するようなことも書いてある。

折り畳んだ状態でも読めるが、コハシは、当然、全部広げたがる。この前は、広げた本を乗り物に見立てて歩き回るという遊びを開発した。

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コハシは堂々と胸を張り、「飛行機でーす! がたんごとんがたんごとん」と部屋の中を練り歩いた。この本には車しか載っていないのに、飛行機と電車はどこから出てきたんだ。私は「めちゃくちゃだ、いいぞいいぞ」と大笑いして、うっかりしばらく見守ってしまった。

我に返って慌てて止めたときには、1ヶ所が少し切れてしまっていた。コハシは急激に落ち込んだ。私も「いや、止めなかった私も悪かったから…」とコハシと本に謝り、一緒にテープで補修した。

じどうしゃがいっぱい (おりたたみしかけえほん)

じどうしゃがいっぱい (おりたたみしかけえほん)

 

 

早すぎたんだ。「ごあいさつ」和田琴美 著、結城嘉徳 絵

私の絵本好きは母譲りだ。母は、嫁入り道具と一緒に「詩とメルヘン」のバックナンバーを嫁ぎ先へ持ち込んだような人だ。子供の私もご覧の通りの絵本好きに仕上がり、進学しようが就職しようが普通に絵本を読んで暮らした。とはいえ絵本は高価だし場所も取るので、近年はなかなか買えずにいたのだ。

そんな我々に、赤子という「絵本を手に入れる大義名分」ができた。やばい。私もやばいし母もやばい。母は神保町ブックフェスティバルを毎年楽しみにしているが、コハシが1歳になりたての頃に開催されたときは「まだコハシは読めないかもしれないけど、見つけちゃったから〜」とかなんとか言いながらどっさり絵本を買ってきた。1歳児に瞬殺されそうな、繊細なしかけ絵本も混じっている。やばい。隠せ隠せ。赤子の手の届かないところに置くんだ!

それらの「我々オトナがひゃっほいするのによさそうな絵本」の中で、これならコハシ(当時1歳)と一緒に楽しめそうだ、と読んでみたのがこの本だ。各ページはフリップになっていて、「おひさま にこにこ あさだよ!」という絵をめくると、「おはよう!」と挨拶するクマが出てくる、というしかけ。シンプルなので壊されにくいだろうと思った。

読み聞かせてみると、コハシは「あー われちゃった」→「ごめんなさい」のページを特に喜んだ。涙目のゾウを見て「あーあ」となぜか得意げに笑う。そのくせ、当時のコハシは、自分が謝らなければいけないときは頑として口を開かない人だった。タチが悪い。2年後のいまは、さっさと謝ってすっとぼけるので、更にタチが悪くなった。

この本は、ころんと小さなかわいいサイズで、子供の手にも収まりやすい。持ち運びもしやすく、お出かけのお供の1冊になった。

が、この持ちやすさがあだになった。

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手に取れば、投げる。叩きつける。引きちぎる。少々の破れはテープで補修したが、両手で持ってもぐもぐ噛み、ふやかしてしまった歯型はどうにもならなかった。形を整えて干したら読むには支障がないくらいに復活したけれど、しばらくはフリップをめくるときにペリペリと音がした。

コハシにプレゼントするのは2歳になってからでもよかったかもしれない。

ミニしかけえほん (12) ごあいさつ

ミニしかけえほん (12) ごあいさつ

 

 ※はてなブログ今週のお題「プレゼントしたい本」

絵本ビンゴつくったよ

めけぽんビンゴ」というwebサービスを使って、「読んだことある絵本ビンゴ」をつくってみました。定番・1作者1作品・私は読んだ本、という縛りを課しても、25冊は少なかった。あれもこれも入れられなかった……!

ぜひリンク先で挑戦して、結果をツイートなどしてください。ほかの人がやったらどうなるのか見てみたい。

めけぽんビンゴ 読んだことある絵本ビンゴ
http://www.utabami.com/bingo/?cid=cwndeqyfr0bk34oj

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それにしてもだ。こんな面陳できる本棚があったら最高じゃないですか。壁を眺めるだけで幸せだし、好きなときに手にとって読み返せたらさらに幸せじゃないですか。夢だわ―。考えるだけでうっとりするわー。

溜めの極意。「いないいないばあ」松谷みよ子 著、瀬川康男 絵

ロングセラーの「生まれて初めて読むのに最適な絵本」だ。初版はなんと1967年。でも、私は小さい頃に読んだ記憶がない。絶対読んでもらったはずなのにな。

初版からこんなに渋い色合いだったのだろうか。熊も猫も狐も、雑貨屋の棚の奥にあるアンティークのぬいぐるみみたいだ。

見開きをまるまる使って、「いないいない……」と顔を隠した動物が描かれている。ページをめくると、これまたまるまる見開きで、「ばあ」。おおらかだ。読み手が一緒に「いないいない」と顔を隠せる余裕がある。たっぷりためてから、ページを勢いよくめくって「ばあ」とするのが面白い。動物たちは思いきった「ばあ」の顔をしていて、目と口がギュワーと開かれている。真似しようとすると私の顔の皮はピシピシ引きつれてしまう。動物すごい。それにしても、顔を隠すだけの遊びがどうしてこんなに楽しいんだろうなあ。

最近のコハシは先を急いで、無理矢理ページをめくってしまう。「ばあ! ばあ! ばあ!」と早送りして、物足りない顔で「おしまーい」と言う。つまらなそうだ。そうでしょうそうでしょう。たっぷり時間をかけたほうが面白いんだよ、こういうのは。

いないいないばあ (松谷みよ子 あかちゃんの本)

いないいないばあ (松谷みよ子 あかちゃんの本)

 

 

動物園で読んだ動物の絵本。「くまさん くまさん なに みてるの?」ビル・マーチン著、エリック・カール絵

私たちが円山動物園で遊んだ日、札幌はすっきりしない天気で、じめじめしていた。円山動物園は、雪深い冬に備えてか屋内展示場がとても充実していて、建物の中から楽しめる展示が多い。雨から逃れて入ったレッサーパンダの屋内施設は、高山の環境を再現するために寒いくらいに冷房が効いていて、一角には一休みにお誂え向きな小上がりのようなスペースがあった。暑さに疲れた私は、ほうと一息ついて腰を落ち着けた。
天井近くに張り巡らされた渡り木の上では、一頭のレッサーパンダが丸まって眠っていた。コハシは見上げるのに首を伸ばしすぎて、止まりかけのコマのようにくるくるよろよろ回転した。

小上がりには小さな本棚があった。コハシはひとしきりくるくる回ると、本棚の中から絵本を数冊引っ張り出し、「さいしょ、これね」と熊の表紙の絵本を押し付けてきた。数冊読ませるのが前提の頼み方が恐ろしい。なんだその態度は。くるくる回ってないでちょっとここに座りなさい。

この絵本は「くまさん、なにみてるの」「あかいとりをみてるの」から始まって、赤い鳥がアヒルを見て、アヒルがカエルを見て、という具合に次々と動物が出てくる。最後はなぜか「おかあさん」が締める。唐突でびっくりする。暑さでまぼろしでも見たのかと後日確認したら、英語版、ボードブック版それぞれに結末が違うことが分かった。それはそれでまた謎だ。

コハシは、本を読み始めてからは私の膝の上に座って絵本にかじりついていた。動物園という場所も手伝ってか、動物の絵が出てくるだけで面白がっている。絵を指差して、「うま!」「ひつじ!」と声を上げた。絵本を読んでいる最中も、読み終わっても、頭上のレッサーパンダは丸まったままぴくりとも動かなかった。

くまさん くまさん なに みてるの? (エリック・カールの絵本)

くまさん くまさん なに みてるの? (エリック・カールの絵本)