まず米、そして野菜

最初は離乳食の記録、途中からは読書の記録。

負けない。「しょうぼうじどうしゃじぷた」渡辺茂男 著、山本忠敬 絵

前回の記事 《私が気付きたかったのに。「しゅっぱつ しんこう!」山本忠敬 著》 の続き。

 絵本「しゅっぱつ しんこう!」にじぷたTシャツが隠れているのを見つけたタカハシは、それはもう勝ち誇った。「じぷた、ね。人気ですよね。ほかの絵本にも出てくるくらいに。まあ窪橋は気が付いていなかったようですけれども」などとニヤニヤしながら言う。悔しい。

 ところがタカハシは、ここまで言っておきながら、「じぷた」を読んだことがない。コハシがこの本に興味がないからだ。「じぷた」は、いまのコハシには文章が長すぎるようだ。絵柄に惹かれて読み始めても、私が読み終わる前にどんどんページをめくってしまい、話を楽しむところまではいかない。絵そのものには「はしごしゃ! きゅうきゅうしゃ!」といい反応をしているので、もう少ししたら好んで読むことになりそうだ。

 タカハシは、コハシへの読み聞かせでもなければ絵本を積極的に読んだりしない。それがまた悔しいので、とにかく読んでみろ、と薦めてみた。すてきなおはなしなんだ、一緒に面白がろうではないか。

 そこで、タカハシが興味を持てるようにこの本の内容を紹介してみた。

  • 持って生まれた特性のせいで活躍できなかった作業員が、短所を長所に、マイナスをプラスに変えて、専用の部署が新設されるほどの大きな成果をあげるサクセスストーリーだよ!
  • ぐるんぱのようちえん」が転職を繰り返すことで自己実現を果たすおはなしなのに対し、こちらは職場はそのままで、自分の適性にマッチした業務を新規開拓して居場所をつくるおはなしだよ!

 「どうだい、読みたくならないかい」

 これを聞いたタカハシは、目をそらせながら「そういうことなら、まあ……」と、この本とぐるんぱのようちえんを読み比べはじめた。よしよし。よい本を紹介した妻に感謝して読むがいい。

 しばらくすると、本を読み終えたタカハシがニヤニヤしながら近づいてきた。手には、山本忠敬さんの別の著書「ずかん・じどうしゃ 」を持っている。

 タカハシは「じぷたのナンバープレートの数字は6110だよね。で、この図鑑の消防車のページを見てほしいのだけれど」と、ページの左上の車を指し示した。するとそこには、じぷたと同じ形、同じナンバーの消防車、つまりじぷたが描かれているではないか!

 なんだこのじぷた。猫が助手席に乗ってる。かわいい!

 動揺する私を見て、タカハシは口の端をゆがめて「やはり気が付いていなかったようだな。いや、だからどうということはないのだけれども」と本棚に本を片付け、悠々と立ち去った。この私の悔しさがお分かりいただけるだろうか。私は負けない。今年こそタカハシを倒す。 

しょうぼうじどうしゃじぷた

しょうぼうじどうしゃじぷた

 

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ずかん・じどうしゃ (福音館の幼児絵本)

ずかん・じどうしゃ (福音館の幼児絵本)

 

今週のお題「2017年にやりたいこと」

私が気付きたかったのに。「しゅっぱつ しんこう!」山本忠敬 著

 一つ前の記事で取り上げた「でんしゃにのったよ」は、この「しゅっぱつしんこう!」のオマージュではないかと勝手に想像している。どちらも出版社は福音館書店。前の「でんしゃにのったよ」の発表は2009年で、内容は「ぼく」とお母さんが山あいの町から電車を3つ乗り継いで東京の親戚に会いに行くというもの。こちらの「しゅっぱつ しんこう!」は1982年の作品で、「みよちゃん」とお母さんが電車を3つ乗り継いで都会から山あいの町のおじいさんに会いに行く話だ。鉄橋など、出てくる舞台にも共通点は多い。

 だが、読んだときに受ける印象はかなり違う。並べて読むと、同じ題材でも作者が変わるとこうも違うのだなあ、と贅沢な気分になれる。コハシに「でんしゃにのったよ」を贈るとき、この「しゅっぱつ しんこう!」も一緒に買ってきた。ほぼ毎日2冊とも読まされるので、毎日毎日贅沢な気分だ。「都会/田舎」の地理感覚がないコハシは、この2冊を全く別の話として楽しんでいる。

 山本忠敬さんの絵は、大人っぽい。リアルで、硬質で、甘さが少なくて、乗り物が持つ質実剛健な魅力が伝わってくる。

 絵の構図もかっちりと決まっている。鉄橋の上で電車がすれ違っているところなど、鉄道会社のポスター写真のようで、とにかくかっこいい。東洋経済オンラインが山本忠敬さんを紹介した記事 《鉄道マンを育てた「幻の絵本」がついに復刊! 乗り物絵本の第一人者が描いた「山手線一周」》 に、編集のかたの「若い頃歌舞伎が好きだった山本先生は、大事な場面では乗り物が読者に語りかけるように『見栄を切らせる』のだとおっしゃっていた」という発言があって、なるほどと思った。これは電車が見栄を切っていたのか。

 みよちゃんたちが電車を乗り換えるたびに「しゅっぱつ しんこう!」という決め台詞が入るが、そういえばこれも歌舞伎の掛け声に似ている。コハシはこぶしを振り上げて、私の音読に唱和する。「とっちゅーれっしゃ、しゅっぱつ、しんこう!」と、勇ましい顔で叫ぶ。

 作者ご本人の解説によると、この絵本は「取材の旅での私の心象の風景と時間の中を走っている列車の架空の旅のお話」なのだそうだ。仙台から特急はつかりに乗って、山のふもとの盛岡駅へ。山田線の急行に乗り換えて山の中の茂市駅まで行き、岩泉線の鈍行で、おじいさんの待つ浅内駅へ向かう。平野から山へ。風景の中には新幹線あり、飛行機あり、牛(!)ありで、とてもとても楽しい。

 タカハシはこの絵本を見て「ずいぶん渋い絵を描く人だなあ」と言った。知識量でタカハシに勝てることがあまりない私は、ここぞとばかりに得意になって「乗り物絵本といえば山本忠敬さん、山本忠敬さんといえば乗り物絵本、というほどの作家さんだ。覚えておくべきだ」と熱弁をふるった。ふるってやった。さらに「君も子供のころに読んだことがあるのではないか。代表作の『じぷた』の名を聞いたことはないか」というと、タカハシは「聞いたことはない。が、『じぷた』というのはこのページに描かれている『ZIPUTA』のことか」と、この本の最初の見開きを指し示した。驚いて見てみると、はくたかに乗り込むみよちゃんたちの手前、急ぎ足の通行人が「じぷた」のTシャツを着ているではないか。

 なんだこのTシャツかわいい。すごくかわいい。欲しい!

 動揺する私を見てタカハシは「これを見落としているとは、好きだという割には読み込みが浅いのではないか」と鼻で笑った。ギイイイイイイイイイイイイ悔しい。私が! 私が先に気付きたかった!!

しゅっぱつしんこう! (福音館の幼児絵本)

しゅっぱつしんこう! (福音館の幼児絵本)

 

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初めて自分で探し出した本。「でんしゃにのったよ」岡本雄司著

 図書館の絵本コーナーにコハシを連れて行ったとき、私も初めて図書館に来たような気分になった。この町に住み始めてからいままで、子供向けコーナーには来たことがなかったからだ。絵本の並びは独特だ。普通なら著者名で五十音順に並んでいるところが、タイトルで五十音順だったり、対象年齢別に分かれていたり、テーマ別になっていたりする。どこからどう探せばいいのか、しばらく呆然と本棚の間をさまよった。定番のアレも有名なあの人の著作も見つからない。検索機で探すにも、横から手を出してくるコハシを止めるのに忙しくて進まなかった。通い慣れたつもりの図書館が知らない場所のように思えた。

 コハシはふらふら好き勝手に歩き回って、小学高学年向けの地下鉄の図解と、小学低学年向けの電車の本を数冊、それから幼児向けの絵本をあっという間に選び出した。私が本の海で迷子になっている間に、目的に合致する本を的確に選んでいる。文字が読めないのになんなんだ、その嗅覚。すごいな。

 早速、子供コーナーの小さな椅子に座って読む。やはりコハシの心を捉えたのは幼児向けの絵本だった。中でもこの「でんしゃにのったよ」への食いつきは強かった。お母さんと小さな男の子の二人連れが、ローカル線から新幹線へと電車を乗り継いで、東京に出る様子が描かれている。電車の描写は迫力があって、表紙のかわいらしい印象がいい意味で裏切られた。大きくカーブしながら鉄橋へ突き進む電車の、ダイナミックなうねり。ターミナル駅の、がらんと広い空っぽのホーム。そのホームに現われる、大きな大きな新幹線。コハシは声を上げて喜んだ。風景の中にも、貨物列車があり、山手線や京浜東北線などの通勤電車があり、東京駅ではいろいろな新幹線が一同に並び、とサービスシーンたっぷりだ。コハシはホーム→新幹線登場のページを何度もめくってうっとりしている。よし、借りて帰ろう。

 貸し出し手続きの意味がさっぱり分からないコハシを何とか説得して(持って帰るのが大変な分厚い大型本を諦めてもらわなければならなかった)、この本を含めた数冊を借りた。家でも一番読み返したのはこの本だ。繰り返し読んでいくうちに、コハシにも話の流れがつかめるようになった。男の子とお母さんは、地方の小さな町に住んでいて、そこから電車を三つ乗り継いで、東京に住むいとこに会いに行くのだ。お父さんは地元の駅まで車で送ってくれて、改札でバイバイする。コハシはそのシーンを「おとうさんは、おしごとだから、おるすばん」と理解した。他にもいろいろと独自に理解を深めた。のりかえは、はしったら、だめ。おべんとうをかったら、かいだんは、ゆっくりのぼらないと、あぶない。おかあさんは、つかれたから、しんかんせんで、ねちゃう。……そうだね、私もたぶん寝るわ。いとこの家族は東京駅まで車で迎えに来てくれている。このお母さんはさぞ助かっただろう。東京駅からまた乗り換えだったら辛いよね。いとこの家の車はかわいい形をしていて、電車と同じくらい魅力的に見える。久しぶりに会った親戚と乗る「ぼく」はとても楽しそうだ。

 この本が最初に出たのは2009年。描かれている風景は20年くらい前のものに見えるけど、いつが舞台なのかなあ。モデルになった電車は、ネット上の電車好きさんたちが読み解いてくれているところによると、最初に乗ったローカル線が大井川鉄道で、最初の乗り換え駅は金谷。そこから東海道線のかぼちゃ電車に乗って、静岡駅から乗っているのは300系こだまだそうだ。分かる人なら、電車や車の車種からこの絵本の舞台となった年代も推測できるだろうけれど、私はちょっと分からない。

 実在の電車たちを端正な線で描写したこの絵は、木版画によるものなのだそうだ。とても素敵だ。この作者の絵本をもっと読んでみたくなったけれど、もう一冊の著作「くるまにのって」は残念ながら出版社在庫なし。地元の図書館には閉架書庫に一冊だけあるようだ。万が一コハシが傷めてしまっては申し訳ないので、借りるのはもう少しコハシが大きくなってからにしようと思う。

 コハシは、毎日寝る前にこの本を読みたがった。読むたびに楽しむポイントが変わる。海沿いの工場で修理中の車を見つけたり、駅ナカのお弁当屋さんを見たり、飽きることがない。図書館に返した後も「ない、ない」と探し回っているので、これはもう買うしかないな、となった。よし、買おう。手元に置いて何度でも読もう。ホームに入ってくる新幹線を見て、何度だって声を上げよう。そうして手に入れて半年以上がたった。コハシは昨日もこの本を楽しんだ。

でんしゃにのったよ (こどものとも絵本)

でんしゃにのったよ (こどものとも絵本)

 

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島田さん。「3月のライオン」12巻までの感想

 12巻目は、物語の本筋からしばらく離れていた島田開八段が少し顔を見せたところで終わっている。ここで島田さんが出てくるのか、たまらんな、と思った。

 私は島田さんが気になって仕方がない。島田さんは、宗谷さんや土橋さんのように将棋がないと生きていけない人ではないし、桐山さんや二階堂さんのような強烈な外的要因があるわけでもない。島田さんには、故郷の人たちがついている。もし島田さんが穏やかな生活をしたいと望めば、いつでもできるに違いない。彼にはその能力も基盤もある。夢の中で「ええんだよ、開、プロになんてなれなくたって」と柔らかく語りかけた「じんちゃん」は、現実でも同じように暖かく迎えてくれるはずだ。逃げ道がある中で戦いつづけるのはどんな心境なんだろう、と思う。その意志の強さが私にはまぶしい。

 じんちゃんたちもさぞかし心配だろう。島田さんは、身を削りながら最前線に立っている。シリアスには胃痛、コミカルには抜け毛で描写されている島田さんの苦しみを、故郷の人たちが知らないわけがない。応援するのがつらいときもあるんじゃなかろうか。私ならつらい。島田さんみたいな人が家族にいたら私はキツい。

 戦う人の近くにいることは、それだけで覚悟がいる。6巻で相米二おじいちゃんは、いじめに泣きながら立ち向かおうとするひなちゃんを「胸を張れ!」と激励する。このコマでは、背景の仏壇がコマの真ん中に描かれていて、まるで二つの位牌が相米二さんに寄り添っているように見える。この位牌こそが、孫を猫かわいがりしたくて仕方ないはずの相米二さんが背負う覚悟なんだろう。相米二さんの涙目が私にはたまらない。私にはこんな覚悟はない。『3月のライオン』では、登場人物たちは何度も戦う覚悟を問われる。「お前はそれでも二階堂にこんなむごいことをしてやれるか」。厳しい。無理だ。物語の中には戦う人のそばにいることで心が折れた人の姿も描かれるが、私は確実にそっち側の人間だ。

 4巻で島田さんは、宗谷さんとの対戦を前にぼろぼろになりながら、天童駅の横断幕を回想する。その姿になんともいえない気持ちになる。故郷の煤けた段幕に意味なんか見いださなくていいんだ。まして、自分のこととして背負わなくたっていいんだ、そんなに胃が痛いなら。でも、二階堂さんが「楽しい子供時代なんて平気でかなぐり捨てた」ように、島田さんも幸せな生活をかなぐり捨ててここまできた棋士なんだろう。「みんなの期待も恩もどうしてもムダにはできなかった」といいながら、その実、その道を選び取っているのは彼自身だ。

 そんな島田さんが、12巻の終わりであかりさんと出会った。いじめられるひなちゃんを案じて 「逃げて欲しかった」と絞り出すように泣いていたあかりさんとだ。あかりさん自身の戦いが終わったこのタイミングで、だ。たまらんなあと思った。彼らが近しい人たちだったらとても見ていられない。それでも心配で、気になって仕方がない。読者という安全圏から島田さんたちを見ていられることを、私は強く喜ぶ。

3月のライオン 12 (ヤングアニマルコミックス)
 

赤子にばかりかまけてはいけない。「とびだす! うごく! のりもの」 わらべきみか 著

これも神保町ブックフェスティバルで母が買ってきたしかけ絵本だ。手のひらサイズの小ささながら、しかけに関しては、前述の「ごあいさつ」「じどうしゃがいっぱい」と比べると本格的で、題の通りに本当に「とびだす」し、「うごく」。はしご車のページを開けば、はしごが勢いよく伸びる。クレーン車が鉄骨を引っ張り上げる動きもよくできている。「うまいこと作るものだなあ」と何度もぐにぐに動かした。

このタイプの本は、傷まないようにビニールカバーで個装されて売られている。母が買ってきてくれた当初、コハシは1歳だったか2歳だったか、とにかく「コハシ・ザ・破壊神☆」というお年頃だったので、落ち着いて読める時がくるまで袋をかけたまま置いておこうということになった。コハシの手が届かないように、本棚の高いところに置いた。

ところで、私の実家には、諸々の決まりごとを天然ボケで吹っ飛ばすジョーカーキャラが生息している。私の父だ。

父は、この本を隠すに至る私と母のやり取りを見ていたはずだが、忘れてしまったのか、はなから聞いていなかったのか、この本をコハシに渡してしまった。目新しい絵本ならもっと手の届きやすい場所に何冊もあったのに、わざわざ奥に隠した絵本を見つけ、持ち出し、袋を開けて、コハシに渡してしまうところに、私の父のミラクルさがある。

破壊神であるとともに乗り物スキーでもあるコハシは、当然大喜びし、力一杯ページをめくろうとした。間一髪のところで止めたのは母だ。紙のはしご車の華奢なはしごは、ゆるく折れ曲がるだけで済んだ。

その後、この本は厳重に管理され、数ヶ月前にようやく解禁された。コハシは特に救急車とゴミ収集車が気に入って、「この人(救急車に運び込まれたケガ人)、どうしたの? 痛いの?」「ごみしゅうしゅう、ゴーーー(ごみを回収するときの機械音のものまね)」と楽しそうに喋りながらページをめくっている。いやあ成長したものだ。よかったよかった、とコハシが好きに読むのに任せていたところ、昨晩、コハシが「破けちゃった……」と悲しそうにこの本を持ってきた。幼稚園バスのしかけがどうなっているのか見たくて無理に覗き込んだら、切れてしまったらしい。最近のコハシは、しかけや仕組みを確認したり、ネジを外して分解したりするのが大好きなようだ。破壊神から脱却したと安心していたが、別のステージに移行しただけだったらしい。

とびだす!うごく!のりもの (てのひらえほん)

とびだす!うごく!のりもの (てのひらえほん)

 

 

再挑戦とダイ・ハード。(「アナと雪の女王」2回目)【追記あり】

喜ぶかと思ったんだけど。 「アナと雪の女王」(映画 2013年) - まず米、そして野菜 の続き。ネタバレあり。

薬局で買い物をしていたら、コハシが歯ブラシ売り場の前でしゃがみ込んで動かない。「アナと雪の女王」がプリントされた歯ブラシが買いたいのだという。売り場にはコハシの年齢に適したサイズがなかったので、アンパンマンはどうだトミカはどうだとコハシの好みそうな代案を出してみたが、靡かない。「そんなに好きならまた映画を見るかい」と何の気なしに言ったら、「見る! どこ、どこで見るの」と前のめりになった。前回は雪のモンスターを見て震え上がっていたのに大丈夫か。家に帰っても「ありのーままのー早く見たい」と言い続けるので、急遽、タカハシ(アナ雪未視聴)も加わっての鑑賞会となった。

コハシは、大丈夫だった。問題のシーンはさすがに怖がったけれど、続きを見たい気持ちの方が勝ったらしい。タカハシがそばにいるのが心強かったのかもしれない。タカハシはコハシの怖がる姿を期待していたので、ちょっと残念そうだった。映画が終わる頃には、満足したのか飽きたのか、でたらめな歌を歌いながらおもちゃで遊んでいた。

見終わって、タカハシに感想を聞いてみた。タカハシは「面白かったと思うけれど、話の途中でなぜ歌い踊るのか全く理解できない」と顔をしかめた。彼らはなぜ、普通に話せないのか。なぜ過剰に動き、踊るのか。そこで引っかかってしまうので、自分はミュージカルを自然に楽しむことができないという。そんな根本的なところからだめかー。

そんなタカハシの隣ではコハシがでたらめな歌を歌っており、妻であるところの私はコハシの歌に合わせて踊っている。過剰に歌い踊る人間×2名と一緒に暮らしているのに、まだ慣れないのか。難儀な人だ。

それからタカハシは「ハンスはラスボスの名前だ。ダイ・ハードの昔から決まっている」と妙な持論を開陳すると、一人で黙々とアラン・リックマンのものまねをしはじめた。タカハシはダイ・ハードが好きだ。特に1作目のダイ・ハードが好きだ。たぶん急に歌ったり踊ったりしないからだと思う。

 

【追記・おわびと訂正】

タカハシから修正依頼入りました。「アラン・リックマンのものまね」とあるのは、「ジョン・マクレーンの日本語吹き替えのものまね、野沢那智バージョン」の誤りでした。人のこだわりを軽んじるなとのことでしたので、おわびして訂正します。日曜洋画劇場で見たんだな、タカハシ。

監督不行届。「じどうしゃがいっぱい」シンディ・チャン著、リンダ・ハワード絵

母が神保町ブックフェスティバルで買ってきた本のうち、1年くらい寝かせていたものの一つ。表紙に「おりたたみしかけえほん」 とある通り、本文は蛇腹状に折りたたまれている。本の横幅は17㎝くらい。1ページに1台の車が描かれていて、それが10台繋がっているから、つまり、全部広げると約170㎝だ。長い。

それぞれの車にはフリップが付いていて、めくると車の内部が見られるようになっている。仕掛け自体はとてもシンプルだ。トラックの荷台の馬、移動図書館の中にぎっしり積まれた本が、細やかな線で描かれている。

このフリップが、いかにもコハシが破り取りそうなつくりだったので、「すぐに破壊しないようになるまでは…」と最近までしまっておいたのだ。が、すでにごみ収集車のフリップは無い。いつからだろう。母曰く、「B品で安かったから最初からなかったのかも」。なるほどそんなことがあるのか。

それぞれの車についている説明書きは、短いながら面白い。コハシに邪魔されてゆっくり読めたためしはないが、「へえ」と感心するようなことも書いてある。

折り畳んだ状態でも読めるが、コハシは、当然、全部広げたがる。この前は、広げた本を乗り物に見立てて歩き回るという遊びを開発した。

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コハシは堂々と胸を張り、「飛行機でーす! がたんごとんがたんごとん」と部屋の中を練り歩いた。この本には車しか載っていないのに、飛行機と電車はどこから出てきたんだ。私は「めちゃくちゃだ、いいぞいいぞ」と大笑いして、うっかりしばらく見守ってしまった。

我に返って慌てて止めたときには、1ヶ所が少し切れてしまっていた。コハシは急激に落ち込んだ。私も「いや、止めなかった私も悪かったから…」とコハシと本に謝り、一緒にテープで補修した。

じどうしゃがいっぱい (おりたたみしかけえほん)

じどうしゃがいっぱい (おりたたみしかけえほん)