まず米、そして野菜

最初は離乳食の記録、途中からは読書の記録。

ミクロネシアの薫風。「ぶたぶたくんのおかいもの」土方久功 著

まず、表紙を見てほしいわけです。だだ漏れる味わいを見てほしい。リアルな顔とデフォルメされた胴体がアンバランスな豚を、大胆なんだか弱々しいんだか分からないヘロヘロの題字を見てほしい。買い物かごの中のほがらかな人面の物体(パンです。「かおつきぱん」といいます)を見てほしい。私はもう、このへんのひとつひとつに、のっけから惹かれてやまないわけです。 

ぶたぶたくんのおかいもの

ぶたぶたくんのおかいもの

 

ぶたぶたくんは、歩くときに「ぶたぶた、ぶたぶた」というので「ぶたぶたくん」と呼ばれています。ぶたぶたと口に出してみてほしい。この妙な気持ち良さを感じてほしい。私とコハシも「ぶたぶた、ぶたぶた」と言ってしまう。ぶたぶたくんはぶたぶたくんという呼び名が定着しすぎて、母親もほんとの名前は忘れてしまった。ここでタカハシは毎回「ひどい!」と呻いてコハシは笑う。しかしぶたぶたくんたちは全く構っていない。ぶたぶたくんのお母さんは、愛情たっぷりに「ぶたぶたくん」と呼びかける。

のぶたぶたくんのお母さんが、びっくりするくらいオシャレだ。頭にはおおぶりの花飾り、服はクラシカルなワンピース。上品な紫で全身を装っている。ぶたぶたくんにそっくりの「豚そのもの」のお母さんが、紫のドレススーツを着て、しかも似合っている。お見せしたい。この美しいマダムをお見せしたい。

この調子で私のお気に入りを書き綴るときりがないんですが、どうしましょうね。読んでいて、隅から隅まで楽しくてしかたない。

この絵本は、作者の好きなものをありったけ詰め込んでつくった箱庭みたいだ。画面には、脈絡なくヘリコプターが飛んでいる。飛行機も飛んでいる。富士山みたいな山がある。湖があって、畑があって、森がある。おおらかな造形の、個性豊かな住人たち。巨石文明の美術品を思わせる「かおつきぱん」。思わず口をついて出る、リズミカルな文章。それらぜんぶが、近所をお買い物して歩くだけの小さなおはなしの中に、気持ち良くおさまっている。

絵本の終わりに描いてある地図がまた楽しくて、というか巻末に地図がある絵本はみんなそうだと思うのだけれど、そこまで点で追いかけてきた物語が地図上の流れとして知覚できる気持ちよさ、平面の地図から物語が立ち上ってくるような豊かさがある。コハシは、この本を数回読むうちにすっかり地図を把握した。どこにどの店があって、ぶたぶたくんになにが起きて、だれとなにを話して……と、地図を指でなぞりながら物語を振り返る。その日、コハシが物語をどんなふうに楽しんだかが伝わって、私も楽しい。地図の上を、みんなで一緒に、「ぶたぶた、かあこお、くまくま、どたじた、どたあん、ばたん」、と進む。

この世界はどこにあるんだろう。作中からは読み取れないのに、私はここに南の島の雰囲気を感じる。作者がミクロネシアに長く住んでいたことを、この本を読む前から知っていたからかもしれない。

Satawal AKK cropped.jpg
By Satawal_AKK.jpg: Angela K. Kepler derivative work: Viriditas (talk) - Satawal_AKK.jpg, Public Domain, Link

この本の作者、土方久功は、第一次世界大戦後の1929年から、第二次大戦の戦渦に太平洋が呑み込まれる直前の1942年まで、ミクロネシアに滞在していた。特に長く住んでいたのは、サタワル島(土方の表記に従えば「サテワヌ島」)という小さな島だ。ミクロネシア連邦の真ん中あたりに位置するこの島は、地形の関係で、大きな船が出入りできるような港がつくれない。列強が南洋を奪い合い、島々に異文化が流入する時代にあっても、サタワル島ではもともとの文化がよく保たれていた。土方はその島で7年間を過ごし、彫刻や絵画や詩を創作しながら、島の人々から民俗資料を採集し、記録した。

サタワル島は1平方キロメートルしかないとても小さい島だけれど、島民たちは独自のカヌーと航海術で、広大な海を自在に動き回った。この絵本の、箱庭のように小さな世界と、そこから感じる吹き抜けるような風通しの良さは、サタワル島のありかたに重なるように私には思える。

土方が手がけた絵本は私の知る限り4冊。うち1冊(『おによりつよいおれまーい』)は、サタワル島の昔話を描いたものだ。でも、私は『ぶたぶたくんのおかいもの』にこそ、南洋の空気を強く感じる。なんでなのかなあ。この絵本には、海はまったく出てこないのに。

完全に余談ですが、大阪の国立民族学博物館オセアニア展示の目玉のひとつ「チェチェメニ号」はサタワル島のカヌーです。こんな小さな船でサタワル島から沖縄まで航海したというのだからすごい話だ。それと、チェチェメニ号の後ろで見切れているモアイがとても「かおつきぱん」っぽい。

www.minpaku.ac.jp

土方久功その人の来歴も、とても不思議で魅力的だ。

この方の名前を私が知ったのは、なにかの調べもので、昭和初期のパラオの資料を見ていたときだった。当時のミクロネシア群島は日本の統治下にあって、中心地となったパラオコロール島には、政府機関である「南洋庁」や、研究施設の「パラオ熱帯生物研究所」、NHKの前身の支局である「パラオ放送局」、民間企業などが集まっていて、多くの日本人が駐留していた。日本から遠く離れた地に赴任した人々は、職種を越えて交流し、一種のサロンのようなものを形成していたという。

その、生物研究所の研究者らとよく交流していた人物の中に、「土方久功」の名前があった。土方がサタワル島を出て、コロール島に移り住んだ頃の話だ。

そのときどの資料を見たのか分からなくなってしまったのだけれど、確かそこでは「南洋庁の嘱託職員」という肩書きで出ていたように思う。現地語を解し、現地の事情に明るく、島の民芸品や美術品などの収集と管理を任されていた人物、として登場していた。

ところで、当時の南洋庁には『山月記』で知られる中島敦も文官として赴任していた。中島の短篇紀行集『環礁』には、土方が「土俗学者H氏」の名で登場する。

H氏は今パラオ地方の古譚詩の類を集めて、それを邦訳しているのだ

(略)

私の変屈な性質のせいか、パラオの役所の同僚とはまるで打解けた交際が出来ず、私の友人といっていいのはH氏の外に一人もいなかった

中島敦 環礁 ――ミクロネシヤ巡島記抄――

仲良しー! どれくらい仲良しかというと、お互いに日記や草稿を見せ合うほどの仲良しだ。そして、一緒に南洋庁を辞して帰国してくるくらいの仲良しだ。土方の日記や著作では、中島は「トン(敦)ちゃん」と呼ばれている。微笑ましい。

中島の著作にも影響を与えたという土方の日記は、現存するものはすべて国立民族学博物館に収蔵されていて、戦前・戦中に書かれた31冊が『土方久功日記』として翻刻、出版されている。32冊目は、帰国した年の暮れ、中島が亡くなったころに書かれたはずだけれど、これだけが行方不明なのだそうだ。土方の生涯をまとめた本『土方久功正伝』の最後には、

この日記第32冊の所在が不明のままとなっていることは、残念でならない。この日記は土方久功研究、中島敦研究の貴重な資料となる。もし、土方久功日記第32冊の所在について、どなたかお心当たりの方がおられれば、お知らせいただきたい。

 とあった。これは見つかってほしい。もしご存じの方がいらしたら、著者の清水久夫先生や国立民族学博物館にご一報を。

帰国後の土方は、柳田国男金田一京助の知遇を得て民俗資料を編纂したり(『サテワヌ島民話』など)、木彫レリーフの個展を開いては高村光太郎に「現代化した原始美」と評されたりと、様々に活動していたけれど、絵本を手がけたのはずいぶんあとで、おそらく60歳を越えてから。福音館書店の編集者、松居直(『だいくとおにろく』の人だ!)に請われてのことだという。

……ここまでのことを知ってはじめて、私は「へえ、どんな本なんだろう」と本屋に行き、『ぶたぶたくんのおかいもの』に出会うことができた。もっと早く、小さいころに読んでみたかったなあ、と思う。たとえば、親におかいものを頼まれるくらい子供だったころに読んでみたかった。

まだ読んでいない人にはぜひ読んでほしいです。この奇妙で、風変わりで、楽しくて、気持ちのよい本を見てください。パン屋のファンキーなおじさんを見てほしい。八百屋のアヴァンギャルドなお姉さんの、鮮やかなオレンジのスーツ姿を見てほしい。お姉さんのせりふは早口で音読してほしい。そしてお菓子屋さんのおばあさんのせりふはゆーーーーっくり音読してほしい。こぐまくんに「ここまできたら、このまま さきへ いくほうが ずっと ちかみちだよ」と言われたときの奇妙さを味わってほしい。買い物かごをさげたカラスを、なんともいえない「かおつきぱん」を、見てほしいのです。いいから。とてもいいから。かおつきぱん、パンなのに顔が微妙に動くから。このパンを食べると思うとちょっと躊躇するな……でも食べてみたい……ぶたぶたくんが買った「いちばんのかおつきぱんのじょうとうぱん」を食べてみたい……。

このまま書いていると止まらないので、この辺でやめます。

ばあい。(←ぶたぶたくんの別れの挨拶)

土方久功正伝―日本のゴーギャンと呼ばれた男

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南海漂泊―土方久功伝

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