まず米、そして野菜

最初は離乳食の記録、途中からは読書の記録。

鬼六の大工が、ヴィンランド・サガのクヌートの敵方だった、というお話。「だいくとおにろく」松居 直 再話、赤羽 末吉 絵

記事がだらだらと長くなってしまったので先に結論を書いておくと、民話『大工と鬼六』の元ネタの主人公は聖王オーラヴ2世で、クヌート大王(『ヴィンランド・サガ』のクヌート)率いる侵略軍に王座を奪われたノルウェー王だった、という話です。ヴィンランド・サガにオーラヴ2世が直接出てくるわけではない(見落としている、もしくはこれから出てくるかもしれない)ので、正直タイトル詐欺である。のっけから申し訳ありません。

 

さて、先日、年少さんたちに絵本を読み聞かせる機会があったので、『だいくとおにろく』を持っていきました。集団への読み聞かせは初めてで、どう転ぶか分からなかったので、とにかく体当たりで臨もうと、顔芸が効くこの本を選んだのでした。顔芸ポイントは鬼の「うんにゃ、ちがうちがう」というセリフで、ここを思いきりニヤニヤして言えば笑いが取れるはず、少なくともコハシはいつも笑ってくれる……やるよ……あたしゃ人を捨てて鬼になるよ……という気持ちで挑んできました。そして私は鬼になった。なりきりました。笑ってもらえた。ほっとしたわー。

だいくとおにろく

だいくとおにろく

 

この物語の筋は、よく指摘されているように、グリム童話の『ルンペルシュティルツヒェン』(参考:青空文庫)や、イギリス民話の『トム・ティット・トット』に似ています。

主人公は、人のわざではとてもなし得ない仕事を、人外の力を借りて、叶える。人外の存在は、その見返りに非情な要求をし、「嫌なら自分の名前を当ててみろ」と言う。主人公は見事にその名を言い当て、人外の存在は消滅する。

『ルンペルシュティルツヒェン』ではドワーフが藁を金に変え、主人公の娘の赤ん坊を要求し、『大工と鬼六』では鬼が川の難所へ橋をかけ、見返りに大工の目玉を要求します。相手の名前を探り当てる流れはそっくりで、こんなに離れた場所の昔話が似通っているなんて、最高に心がくすぐられるぜェーと思っていたのです。が。

ameblo.jp

こちらの記事で、この物語が 「そもそも日本の昔話ではなく、たった100年前に発表された、北欧民話の翻案(外国の話を日本設定に差し替えたもの)だった」と目にして、びっくりしたのでした。

上記で紹介されている、櫻井美紀「『大工と鬼六』の出自をめぐって」(資料1)を読んでみたら、これがすこぶる面白い。早速タカハシに「すごいなー! 面白いなー!!」と鼻息荒く伝えたら、仕事がクッソ煮詰まっていたはずなのに、ご丁寧にその辺の資料をまとめてプリントアウトしてくれました。試験前に部屋の片付けを始めちゃう的なことだったのだと思うが仕事は大丈夫か。なんにせよ有難いことですし、せっかくなのでいろいろ調べて備忘メモをしておきます。以下、太字強調は私によるものです。

 

《翻案からの流れ》(資料1から年表を作成)

  • 1915年頃 児童文学者・巌谷小波の依頼により、童話研究家の水田光が、神話学者の松村武雄の指導を受けながら、外国の昔話の翻訳・翻案を開始
  • 1917年 水田光『お話の実際』(資料2)出版
    →北欧の民話『オーラフ上人寺院建立の伝説』の訳文と、それを改作した『鬼の橋』が掲載される。
    (このとき、水田により「上人→大工」「巨人→鬼」「寺院→橋」「人間の体を要求→目玉を要求」などの大きな翻案がなされる
  • ****11年の空白****
  • 1928年 織田秀雄編『天邪鬼』の「壮次じいの語った話」に、日本の民話として「鬼六と大工」が掲載(岩手県胆沢郡)
  • ****その後も翻案の経緯が忘れられたまま岩手・山形・岡山などで類話が採集される。佐々木喜善 編『聴耳草紙』(1931年)、柳田国男 関敬吾 編『昔話採集手帖』(1936年)など。****
  • 1967年2月 松居直の再話による絵本『だいくとおにろく』(福音館書店)初版発行  ※上記で私が読んだ本
  • 1970年代 北欧の教会建立伝説との類似が指摘されはじめる(資料3)
  • 1986年10月 高橋宣勝『大工と鬼六は日本の民話か』(資料3)北欧伝説の翻案ではないかという指摘
  • 1986年12月 高橋の発表を受け、櫻井美紀が『「大工と鬼六」の出自をめぐって』(資料1)を発表
    水田光「鬼の橋」の再発見により、「オーラフ上人寺院建立の伝説」と「大工と鬼六」との繋がりが明らかに。また、11年の空白期間について、巌谷小波らによる「口演童話活動」の影響が示唆された。

 

 《モチーフの検証が面白い》

「大工と鬼六」の国外神話翻案説について、高橋宣勝「大工と鬼六は日本の民話か」(資料3)では、水田の『鬼の橋』の再発見以前に試みられた検証を紹介しています。

これがまた心くすぐられる内容で、

柳田国男が我国の基本話と規定したこともあって、この昔話はこれ迄常に純国産の話とみなされ、曰く、鬼は川の神の零落した姿である、目玉の要求は人柱伝習の痕跡である、名当てによる解決は化物問答と同工である、といった我国の民族伝習に即した解釈がなされてきた。

(中略)

昔話に限らず口承文芸は一般に保守的で、イメージやモチーフや構造に独特の様式性があり、そうした伝統パターンを基準として国産性の問題に探りを入れてみるのは十分に妥当であろう。

と言って、

①我国の昔話では、鬼の住処は伝統的に山や島であり、その鬼が川の神というのは矛盾であり伝統に反する。

②「超自然者の援助と要求というタイプのモチーフ」における我国の伝統では、異類に要求されるのは娘であり、異類はその娘によって殺される。「この伝統に従うなら、鬼六は大工の娘を要求してしかるべきだった」。また、人柱伝説で橋を架けるのは常に人間であり、川の神(鬼)が自ら姿を現わし橋を架けるのは我国の人柱伝説に全く反する。

③我国の化物問答は、化け物が自らの正体をナゾで問い、云い当てられて逃げていくというもので、これと鬼六の名当ては「断じて同工ではない」、一方で「西洋ではポピュラーなモチーフである」。

……といったような検証が試みられています。はー、言われてみればだなー。

それで私はまたタカハシに「これ面白いなー!」と言いにいったわけですが、タカハシは「仮説、面白いよね……研究は仮説の段階が一番面白い……専門外の話はいいよね、気軽に楽しめるし……自分の専門も、〆切を他人に設定されなければ楽しいはずなんだけどね……」とだんだんうつろな目になってしまったので、仕事大丈夫じゃなさそうだなと思いました。果たして前述のクッソ煮詰まってた案件はタカハシの作業が終わった後にペンディングしたそうで、超不憫である。

閑話休題

 

《オーラフ上人の寺院建立の伝説について》

上の高橋先生の検証の後に、櫻井美紀先生の調査発表(資料1)で水田光『お話の実際』が紹介されるわけです。この本では世界中から集めた原話を日本の子供たちのための童話に翻訳、翻案しています。英米はもちろん、中国、インド、アッシリアギリシャなども。アイヌの話もある。

それぞれに解説が付いていて、「鬼の橋」つまり「大工と鬼六」についても原話の翻訳と翻案の意図が示されています。下記、翻訳部分全文を引用。水田光『お話の実際』、313~315ページより。

 この童話には元據があります。それは北歐に傳承されてゐるオーラフ上人寺院建設の傳説で、その内容は次の通りであります。

 『オーラフ上人は熱烈な基督教の宣傳者であつた。彼はノルランドに寺院を建築し、頑強に反抗する異教徒を説服して、教義の宣布に努めやうと思つたが、寺院建立には多大の經費が入用である。しかも彼は之を民衆に負擔させるに忍びなかつた。彼は懊惱して森の中を徘徊してゐた。すると一人の巨人が現れて、一の條件のもとに或る期間に於て寺院を建立してやらうと申し出た。その條件と云ふのは、所定の時間内に建築が落成したら、その報償として、日と月とを貰ひ受けるか、若しくは上人自身の體を貰ひたい。もしまた同期間 に巨人の名を云ひ當てたら、報酬は入らぬと云ふのであつた。上人はたやすく之に應じた。すると驚くべし、工事は着々として進渉し、約朿の期間をす一日と云ふときには、頂上の尖閣が完成しないばかりとなつた。これを見た上人は非常に苦悶した。日と月とをふることは、もとより不可能である。それかと云って、自分の體を巨人の手に委したら、教義の宣傳は水泡に歸せねばならぬ。懊惱の極彼はまた森の奥にわけ入つた。そして沈吟苦慮しながら、重い足を動かしてゐると、何處からとなく幼兒の泣聲が聞える。續いて母らしいものの聲で、
 默れ、默れ、いとし兒よ、
 明日は父なる『暴風雨(あらし)』の君が、
 うまし土産を持ちかへる、
 月かや日かや、上人か。
と歌ふのが耳に入る。上人は欣舞して喜んだ。そして急いで建築場にかけつけて見ると、巨人はまさに尖閣を造り終えようとしてゐた。上人はすかさず大きな聲で「お前の名は暴風雨だ」と叫ぶと、巨人は高い高い寺院の屋根から轉げ落ちて、五體が微塵に碎けてしまつた。その碎片の一つ一つが今日の燧石だと云ふのである。』

このあと、「私がオーラフ上人の寺院建立の傳説を改作して、『鬼の橋』のやうな内容に盛り上げた」とはっきりおっしゃっている。

……鬼六、『暴風雨(あらし)』の君だったのかよ。

翻訳はご自身によるもので、種本については、松村武雄『神話学研究』(1929)に所収の訳文が水田訳とほぼ同一の文脈であることなどから、ドイツ人の文学史研究者 Ludwig Uhlandの『Der Mythus von Thôr』(『トロールの神話』1836年)の111~112ページではないかとの推察があります(資料1)。これもウェブ上で原本が読めます(例えばここ)が、ドイツ語。まーさっぱり分からない。書体がかっこいいことしか私には分からない。

 

《元ネタの「オーラフ上人」は誰か》

北欧に伝わる寺院建立伝説は、聖オーラフ(オーラフ王)伝説と聖ラオレンティウス伝説の二種があるが、水田が使用したのは聖オーラフ伝説である。(資料1)

ということなので、「オーラフ上人」は聖王オーラヴ2世(995-1030)のことでしょう。この人は1014年にノルウェー王に即位しています。漫画『ヴィンランド・サガ』でいうと8巻あたり。主人公トルフィンたちの物語の外側、知り合いの知り合いくらいの距離にいるはず。

↑このへん。

漫画の中に名前だけでも出てこないかと思って既刊20巻を読み返してみたんですが、うっかり話に没頭してしまって、ちゃんとチェックできませんでした。ヴィンランド・サガ、面白いよねえ。多分、今のところは、登場していないはず。

史実では、この後なんかいろいろあってオーラヴ2世はノルウェー王を退位。次にノルウェー王の座に即くのは大王クヌート(995-1035) つまり『ヴィンランド・サガ』第二の主人公である(と私は思っている)クヌートなので、「なんかいろいろ」の部分が漫画で語られることがあれば、オーラヴ2世も出てくるかもしれない。

 

《元ネタの「寺院」はどこか》

この教会伝説についてスウェーデン民俗学研究所へ問い合わせてみた。
すると、この伝説は北欧の何百という教会で、その建立譚として語られているものだという。(資料3)

ということなのでこれと限定できるわけではないけれど、エストニアの聖オラフ教会はそのうちの一つだと思います。教会の公式サイト内の、歴史を紹介するページに、伝説についての解説がありました。

Muistendid kiriku ehitamisest levivad enamikus oma kihelkonna piires, ent muistendid Oleviste kirikust ja selle ehitamisest on levinud laialt. Neid on kirja pandud 45 kihelkonnast kokku 91 teisendit. Üldiselt on nende sisu, et Kalev ehitab kirikut, kuid kuuldes hüütavat oma nime, kukub Oleviste tornist alla surnuks. Sellesisulisi muistendeid on leida ka liivlaste, kuid eriti rohkesti skandinaavlaste seas. Muistendite laialdane levik tõestab Oleviste kiriku erakordsust või selle suurt vanust. Oskar Loorits asetab Oleviste muistendite tekkimise Eestis XII sajandisse, s.o. aega enne taanlaste tulekut.

エストニア語……さっぱり分からねえ…… Google翻訳で無理やり読んでみると、「91種類の伝説が45カ所の教区に残っている/これらの伝説はリヴォニア人、特にスカンジナビア人に伝わっている」的なことが書かれている気がする。

ちなみにここの教会に伝わっている伝説は、主人公じゃなくて巨人の名前のほうが「オラフ」だったバージョンです。
例1: タリン市の公式観光サイト 聖オラフ教会と塔 - 観光 - VisitTallinn
例2: 聖オレフ教会の塔からエストニアの世界遺産「タリン旧市街」を一望 | GOTRIP!

こんな話が北欧中心にゴロゴロしてるんだもんなあ、そんで鬼六に繋がるんだもんなあ。たまらんなー!

 

《口承から書承、書承から口承、と伝播しつづける物語》

口から口へと物語が伝わることを「口承」というのに対し、文書を媒介した場合は「書承」というそうです。北欧の昔話が、書承と口承を経て「大工と鬼六」という日本の昔話の顔になった。そのダイナミックさたるや。

櫻井先生は、飛騨高山の「味噌買橋」も外国由来であることを「昔話『味噌買橋』の出自」(1992年)で取り上げています。この論文では、「味噌買橋」伝播の経緯に加え、この話が国語の教科書に取り上げられた影響で「書承→翻案→口承」が国内でも激しく繰り返され、日本各地の昔話資料に混入した様子が明らかにされています。物語が持つ伝播力の強さに圧倒される。

私個人の体感ですが、「大工と鬼六」の伝播については、水田が『鬼の橋』に施した翻案の鮮やかさも影響したような気がします。

水田はモチーフの差し替えだけでなく追加も行っていて、例えば前述の「オーラフ上人寺院建立の伝説」では「所定の時間内」とされていた名当ての期限を「3日間」に設定し、名当ての問答を1回から「3回」にしています。また、鬼六の登場シーンを、「亜刺比亜夜話」(アラビアンナイトか?)や「英吉利の一童話『トムと怪物の壺』」からモチーフを引いて膨らませたといいます(資料2)。

これらの変更は、後に日本各地で採録された「大工と鬼六」にも魅力的な聴かせどころとしてしっかり形を残しています。ここ、コハシに読み聞かせたときの反応もいい。私の顔芸ポイントもここだったしなあ。

 

《余談》

ところで、年少さんたちにこの物語を読み聞かせたとき、「これで私も北欧神話から連綿と続く『だいくとおにろく』伝播の末席に連なることができるのだわー」とひとり悦に入ったのですが、途中の変顔で笑いをもぎ取ったものの、肝心の内容はうまく伝わらず、読み終わったあと子供たちがキョトーンとしていたことを告白いたします。園児たち、軽くざわついた。「おはなし、終わったの…?」「おにろくが名前だったの…?」「大工どうしたの…?」というような声が聞こえた。うん……ごめん……私の語りが下手だったわ……。

ここまで散々論文を引かせていただいた櫻井美紀先生は、口承文芸の研究者であると同時に、優れた語り手でもいらしたそうです。もし「大工と鬼六」も語っておられたなら、二人の姿が生き生きと聴衆に届いていたに違いない。聴いてみたかったなあ。

私は語り手として研鑽を積む予定はいまのところありませんが、一対一での絵本の読み手としてはコハシから一定の評価を得ているようなので、引き続きコハシ相手に頑張って口演していきたいと思います。主に「うんにゃ、ちがうちがう」のところのニヤニヤ顔をですね、磨いていきたいと思います。

 

 《参考文献》

(資料1)櫻井美紀「『大工と鬼六』の出自をめぐって」 - 日本口承文芸学会(1986年)

(資料2)水田光『お話の実際』(1917年) 『鬼の橋』は305~315ページに掲載。

(資料3)高橋宣勝「大工と鬼六は日本の民話か」 - 日本口承文芸学会(1986年)
     更に詳細な内容は岩波書店『文学』(1988年2月号)にあるが、未読。

 

《追記》
文中の「タカハシ」は、資料3の著者の「高橋先生」とは別人です。初めまして私は窪橋です。ちなみに「コハシ」はうちの子です。

そのタカハシから、
「自分が資料をわざわざプリントアウトしようという気になったのは、はてブに水田光『お話の実際』原文へのリンクが貼ってあったからである。これはなかなか見つけてこられるものではない」
と聞きました。そうだったのかーありがてえー!
id:machida77 様、ありがとうございます。あのブコメがなければこの記事は書けませんでした。お礼を伝えようっていうのにidコールで呼びつけてすみません。どうしても追記しておきたかったのです。