まず米、そして野菜

最初は離乳食の記録、途中からは読書の記録。

ボーロカップ

こぼれないボーロカップ イエロー

こぼれないボーロカップ イエロー

たまごボーロを皿に盛れば皿ごとひっくり返し、手でひと粒ずつ渡せば「自分で袋から食べたい」と主張する人がいるので、ボーロカップなるものを導入した。

カップには、放射状に切れ目の入った柔らかい樹脂の蓋が付いていて、ここに手を突っ込んでボーロを掴んで取り出すようになっている。多少容器を振り回したくらいではこぼれない。掃除が楽だ。嬉しい。自分の手で好きなように食べられるのでコハシも嬉しそうだ。

コハシは、この「手を蓋に突っ込む→ボーロを的確に数粒掴む→こぼさないように掴んだまま蓋から手を引き抜く→ボーロを口に運ぶ」をまだ完璧にこなすことができない。どこかの段階でこぼしたり、ボーロを掴みすぎてうまくいかなかったり、苦戦している。でも、お皿に盛った時よりも楽しそうに、時間をかけて食べている。

そんなコハシの様子を見た母が、「動物園で、サルとかクマとかの餌を取り出しにくい容器に入れるじゃない。工夫しないと食べられないように。なんだかあれに似てるわねえ」と言う。うん、エンリッチメントのあれね。わかるわかる。私も同じこと思ったわ。

実はみかんへの不信はいまだに続いていて、最初の一口は警戒しながら噛む。今日は筋の残り具合に不安を覚えたらしく、「うええ……」とうめきながらゆっくりと口をあけて、噛みかけていたみかんの房をぽとりと床に落とした。

誰が教えたわけでもないのに、コハシは水を飲むと「うまーい」と言う。仕事終わりにビールを飲み干した人のように言う。「うまっ」だけの時もあるし、情感たっぷりに「うんっまああぁいぃ」と言う時もある。いずれにしろ大人は笑う。コハシはそれを見て喜び、ますます「うまーい」と言う。なるほどこれがオペラント条件付けというものか。

よくばりおこさん

手づかみで何かを食べる時、コハシは必ず両手にたくさん確保する。持てるだけ持つ。しかし小さな口に入れるには多すぎる量だし、そもそも口に運ぶのもまだ下手なので、ボロボロこぼす。握りつぶされて余計に食べにくくなっていたりもする。「お手伝いしましょうか?」と私が手を出すと、触られまいと両手をぶんぶん振って怒る。その動きにより食べ物は更にボロボロ落ち、あるいは飛び散り、口に入る量はどんどん減る。

こんな感じの、欲張りなひとが最終的に損をする昔話、どこかで聞いた気がするなあ。