まず米、そして野菜

最初は離乳食の記録、途中からは読書の記録。

探したけれど見つからないので。

まだコハシが産まれたてで、炊飯器みたいな音を立てていたとき、母が「あなたが好きそうなものを見つけたわよ」と、読書記録を付けるノートをくれた。「この子に本を読み聞かせるようになったら書いてみたら?」というので、それはいい、とコハシの手が届かないところに大切にしまった。背表紙がしっかりしている、素敵な本だった。と、思う。 

なくしました。 

「コハシもアラサーになったしそろそろあれを活用すべきかしら」と思ったんだけど。いやあ、ないわー。ない。どこをどう探しても、ない。 

仕方がないので、離乳食ブログに飽きて2年弱放置していたここを、読書記録を記す場として再利用しようと思います。手書きは苦手だしちょうどよかったかもしれない。

<登場人物おさらい>
窪橋 kubohashi(私)/タカハシ(夫)/コハシ(アラウンド3歳)

昨日の続き。

ボーロカップは中身が少なくなると取り出しにくいようだ。コハシは残り2、3粒のボーロとしばらく格闘していたが、なかなか掴めないことに焦れ、むくりと立ち上がると、憤懣やるかたないという表情で私にカップを叩きつけた。痛い。

ボーロカップ

こぼれないボーロカップ イエロー

こぼれないボーロカップ イエロー

たまごボーロを皿に盛れば皿ごとひっくり返し、手でひと粒ずつ渡せば「自分で袋から食べたい」と主張する人がいるので、ボーロカップなるものを導入した。

カップには、放射状に切れ目の入った柔らかい樹脂の蓋が付いていて、ここに手を突っ込んでボーロを掴んで取り出すようになっている。多少容器を振り回したくらいではこぼれない。掃除が楽だ。嬉しい。自分の手で好きなように食べられるのでコハシも嬉しそうだ。

コハシは、この「手を蓋に突っ込む→ボーロを的確に数粒掴む→こぼさないように掴んだまま蓋から手を引き抜く→ボーロを口に運ぶ」をまだ完璧にこなすことができない。どこかの段階でこぼしたり、ボーロを掴みすぎてうまくいかなかったり、苦戦している。でも、お皿に盛った時よりも楽しそうに、時間をかけて食べている。

そんなコハシの様子を見た母が、「動物園で、サルとかクマとかの餌を取り出しにくい容器に入れるじゃない。工夫しないと食べられないように。なんだかあれに似てるわねえ」と言う。うん、エンリッチメントのあれね。わかるわかる。私も同じこと思ったわ。

実はみかんへの不信はいまだに続いていて、最初の一口は警戒しながら噛む。今日は筋の残り具合に不安を覚えたらしく、「うええ……」とうめきながらゆっくりと口をあけて、噛みかけていたみかんの房をぽとりと床に落とした。

誰が教えたわけでもないのに、コハシは水を飲むと「うまーい」と言う。仕事終わりにビールを飲み干した人のように言う。「うまっ」だけの時もあるし、情感たっぷりに「うんっまああぁいぃ」と言う時もある。いずれにしろ大人は笑う。コハシはそれを見て喜び、ますます「うまーい」と言う。なるほどこれがオペラント条件付けというものか。