まず米、そして野菜

最初は離乳食の記録、途中からは読書の記録。

溜めの極意。「いないいないばあ」松谷みよ子 著、瀬川康男 絵

ロングセラーの「生まれて初めて読むのに最適な絵本」だ。初版はなんと1967年。でも、私は小さい頃に読んだ記憶がない。絶対読んでもらったはずなのにな。

初版からこんなに渋い色合いだったのだろうか。熊も猫も狐も、雑貨屋の棚の奥にあるアンティークのぬいぐるみみたいだ。

見開きをまるまる使って、「いないいない……」と顔を隠した動物が描かれている。ページをめくると、これまたまるまる見開きで、「ばあ」。おおらかだ。読み手が一緒に「いないいない」と顔を隠せる余裕がある。たっぷりためてから、ページを勢いよくめくって「ばあ」とするのが面白い。動物たちは思いきった「ばあ」の顔をしていて、目と口がギュワーと開かれている。真似しようとすると私の顔の皮はピシピシ引きつれてしまう。動物すごい。それにしても、顔を隠すだけの遊びがどうしてこんなに楽しいんだろうなあ。

最近のコハシは先を急いで、無理矢理ページをめくってしまう。「ばあ! ばあ! ばあ!」と早送りして、物足りない顔で「おしまーい」と言う。つまらなそうだ。そうでしょうそうでしょう。たっぷり時間をかけたほうが面白いんだよ、こういうのは。

いないいないばあ (松谷みよ子 あかちゃんの本)

いないいないばあ (松谷みよ子 あかちゃんの本)

 

 

動物園で読んだ動物の絵本。「くまさん くまさん なに みてるの?」ビル・マーチン著、エリック・カール絵

私たちが円山動物園で遊んだ日、札幌はすっきりしない天気で、じめじめしていた。円山動物園は、雪深い冬に備えてか屋内展示場がとても充実していて、建物の中から楽しめる展示が多い。雨から逃れて入ったレッサーパンダの屋内施設は、高山の環境を再現するために寒いくらいに冷房が効いていて、一角には一休みにお誂え向きな小上がりのようなスペースがあった。暑さに疲れた私は、ほうと一息ついて腰を落ち着けた。
天井近くに張り巡らされた渡り木の上では、一頭のレッサーパンダが丸まって眠っていた。コハシは見上げるのに首を伸ばしすぎて、止まりかけのコマのようにくるくるよろよろ回転した。

小上がりには小さな本棚があった。コハシはひとしきりくるくる回ると、本棚の中から絵本を数冊引っ張り出し、「さいしょ、これね」と熊の表紙の絵本を押し付けてきた。数冊読ませるのが前提の頼み方が恐ろしい。なんだその態度は。くるくる回ってないでちょっとここに座りなさい。

この絵本は「くまさん、なにみてるの」「あかいとりをみてるの」から始まって、赤い鳥がアヒルを見て、アヒルがカエルを見て、という具合に次々と動物が出てくる。最後はなぜか「おかあさん」が締める。唐突でびっくりする。暑さでまぼろしでも見たのかと後日確認したら、英語版、ボードブック版それぞれに結末が違うことが分かった。それはそれでまた謎だ。

コハシは、本を読み始めてからは私の膝の上に座って絵本にかじりついていた。動物園という場所も手伝ってか、動物の絵が出てくるだけで面白がっている。絵を指差して、「うま!」「ひつじ!」と声を上げた。絵本を読んでいる最中も、読み終わっても、頭上のレッサーパンダは丸まったままぴくりとも動かなかった。

くまさん くまさん なに みてるの? (エリック・カールの絵本)

くまさん くまさん なに みてるの? (エリック・カールの絵本)

 

 

スッパダカマンの快哉。「おふろでちゃぷちゃぷ」松谷みよ子 著、いわさきちひろ 絵

我が家には、真っ裸な人を表現する言葉がいくつか存在する。スッパダカマン。オシリーマン。ハダカンボウズ。

余談だが、その他のバリエーションとして、オムツマンや、パンツマン、オシリマルダシマン(上半身だけは服を着て、下は裸のまま逃走する人のこと。トイレのあとによく出現する)、モウヌゲナイノヒト(絵本「もうぬげない」より、首に服が引っかかって脱げない人のこと)も、ある。

コハシは最近、ちゃんと服を着ていない状態をやたらと面白がるようになった。いわさきちひろさんの(そうだよ、この、いわさきちひろさんの!)詩情あふれる水彩画を前にしても、「この子、はだかんぼうだよねえー」とニヤニヤ笑ってしまうのだ。

表紙の子供は、絵本の最初では服を着ている。あひるちゃんに誘われて、お風呂に入るために急いで服を脱いでいく。とうとう全部脱ぎ終わって表紙と同じ絵が出てくると、コハシは「ああ―! ハダカンボウズだよねえー!」と笑う。絵本の子も「わーい はだかんぼだーい」と走り出している。二人とも、喜ぶのはそこか。風呂ではないのか。コハシも裸になると走りがちだ。なにがそんなに楽しいんだろう。

最後の「あたま あらって きゅーぴーさん」は、私が子供の頃、母によくやってもらった遊びだ。よし、ここはひとつ私も、と、コハシの毛を逆立ててみるのだが、コハシの反応は煮え切らない。洗い場の鏡を見るよりも、湯船で「ちゃぷちゃぷ」するほうが「だーいすき」らしい。そうだね。それもいいよね。コハシは「ちゃぷちゃぷ」というより、ざぱーん、ばしゃーん、という感じだけどね。

おふろでちゃぷちゃぷ (松谷みよ子 あかちゃんの本)

おふろでちゃぷちゃぷ (松谷みよ子 あかちゃんの本)

 

 

コール&レスポンス一人相撲。「がたんごとんがたんごとん」安西水丸 著

安西水丸さんの絵の、きっぱりした色と形が気持ちいい。話運びも言葉の数も、絵と同じようにすっきり削ぎ落とされている。車両の絶妙な歪み。地面の緑と背景の白の鮮やかな対比。

黒一色の機関車が「がたんごとんがたんごとん」と進んでは、行く先々で「のせてくださーい」と待つ乗客を乗せていく。このリズミカルな繰り返しが、絵本を読み聞かせる大人にも読んでもらう赤子にも親しみやすいからか、生まれて初めて触れる絵本として「じゃあじゃあびりびり」「いないいないばあ」と並ぶ人気の高さだ。検診のときにプレゼントしてくれる自治体もあるらしい。うらやましい。

機関車は寡黙なので、「のせてくださーい」の声には特に応えない。黙々と乗客を乗せ、「がたんごとん」と進む。コハシも、読み聞かせる私の声には応えてくれない。黙々と続きを促される。「よしきた! せーの、のせてくださーい!!」などと煽っても反応は薄い。親と子の掛け合いを楽しみたいんですけど、駄目なんですかね……面白いと思うんですけどね……。

乗客はバナナやスプーン、猫など、身近にあるものばかりだが、なんといったらいいのか、少し、違和感がある。哺乳瓶の顔の位置はそこなのか。猫の乗る場所はそこでいいのか。レイアウトがすっきりしている分、ちょっとしたひっかかりがじわじわくる。

機関車は最後の最後で「さようなら」と去っていく。クールだ。コハシは「もっかいよんで」とだけ言う。気に入っているようで何よりだ。

がたん ごとん がたん ごとん (福音館 あかちゃんの絵本)

がたん ごとん がたん ごとん (福音館 あかちゃんの絵本)

 

 

 

足取りのたどたどしさ。「こりゃまてまて」 中脇初枝 著、酒井駒子 絵

読み終わるとすぐ「もっかい読んで!」とリクエストされる絵本だ。つい昨日も続けて3回読まされた。酒井駒子さんの描く少し掠れた線がたまらない。ふよふよした髪の毛。何かに夢中になったときの少しとがった口元。体の割に大きい、アンバランスなあたま。説明書きがなくても分かる。ここに描かれているのは、まごうかたなき、1歳児だ!

1歳児は、興味の赴くままに手を伸ばす。天気のいい春の日、不器用に伸ばされる小さな手から、みんながのんびり逃げていく。ちょうは「ひらひらひら」。はとは「ばさばさばさ」。みんなそれぞれ、絵本のページの外側へ逃げてしまう。

最初に読んだとき、コハシは「しゅるしゅるしゅる」と草陰に潜り込むトカゲのしっぽを指差して、「あーあ」と言った。しっぽの絵だけでよく見分けたなあ、トカゲもヤモリもまだ見たことなかったのに。

この本の文字はスタンプで押しているんだろうか。ほんの少しふぞろいな文字列は、1歳児の覚束ない足取りのイメージによく合っている。目の前のものをよたよた追い回す、舌足らずな「こりゃまてまて」だ。

最後は、子供を呼び止める大人の声に変わる。「こりゃまてまて」と差し出される腕に、1歳児は簡単に捕まってしまうのだ。子供のやわらかそうなお腹をすっぽりと覆う、父親と思われる人物の大きな手。そうそう、この頃は、コハシの胴回りもこれくらいしかなかったんだよなあ。

こりゃ まてまて (0・1・2・えほん)

こりゃ まてまて (0・1・2・えほん)

 

 

グラフィカル貨物の疾走。「はしれ! かもつたちのぎょうれつ」ドナルド・クリューズ著

JR武蔵野線で電車を待っているとき、目の前を貨物列車が通り過ぎた。見慣れた通勤電車とは明らかに違う、埃っぽい鈍色。延々と連なる車両。金属音を響かせて、たっぷり時間をかけて通り過ぎる威容に、コハシはノックダウンされた。「今のは貨物列車っていうんだよ」と伝えると、大人の言葉を繰り返すことができるようになったばかりのコハシは興奮気味に復唱した。「おむつれっしゃ!!」……そうか。おむつか。

この絵本で表現されているのは、あの時コハシの前を駆け抜けた「かもつたちのぎょうれつ」の疾走感だ。なんだかよくわからない、見慣れないかたちの箱が、何ページも使って描かれている。この絵本の「かもつたち」は、一両ずつ違う。とてもスタイリッシュな形と、美しい色を持っている。それぞれの車両の説明もある。「オレンジいろのタンク」、「じょうごみたいなきいろいくるま」。でも、簡素化されたフォルムの車両たちからは、中にどんな荷物がつまれているのか、どうしてこの形なのかは、見て取ることができない。カラフルでミステリアスな箱の連なりの先頭に、真っ黒い機関車がいる。重々しく煙を吐いている。

ぎょうれつのスピードが上がると、かもつたちは輪郭が溶け、色が混ざる。ここからはあっという間だ。塊になって風景を切り裂いたかと思うと、遠くへ消えてしまう。

なんかよくわかんないけど、長くて、早くて、すごくかっこいいもんを見た。そういう、あのJRの貨物列車を見たときと同じ気持ちを味わえる本だ。

はしれ!かもつたちのぎょうれつ (評論社の児童図書館・絵本の部屋)

はしれ!かもつたちのぎょうれつ (評論社の児童図書館・絵本の部屋)

 

 

 

「ムジカ・ピッコリーノ 第4期」(NHK 2016年4月~8月放送)

8/19に最終回の20話目が放送された。ああ、終わっちゃった。いつかまた、メロトロン号の人々と、できればピッコリーノ号の面々にも、新しいエピソードで会いたいな。ゴンドリーさんがユーフォニウムのモンストロに出会えなかったのは、5期への布石だと思いたい。お願い、会わせてあげて! チューバの回が忘れられないんだ! 部屋を出て行くゴンドリーさんの後ろ姿が忘れられないんだ!!

それにしても、楽しかったな。メロトロン号の乗組員は今回も魅力的だった。艶を増すアリーナの歌声、おどけた演技とかっこいい演奏のギャップで魅せるポンさん、摑みどころのない存在感がたまらないリヒャルト船長、脇をガチッと締めるゴンドリーさんとゴーシュさん(知人がゴーシュさんにそっくりなので親近感やばい)、みるみる美しい青年に成長するエリオット。特にエリオットの成長ぶりは……。「男子3日会わざれば刮目して見よ」って本当だったんだなと思わされる。

ドクトルジョーとローリー司令官の異色の掛け合いも、目が離せなかった。なんだ、あれだ、萌えた。すばらしかった。隣で無表情を貫くモレッティさんも安定の素敵さで、ローリー司令官の過剰すぎる顔芸との対比で毎回お腹が痛くなるくらい笑いました。そうそう、使われているトラベラーズノートスチームパンクな世界観にぴったりで、既製品には思えない溶け込みっぷりでしたね。

もちろん楽曲も思い出深い。物語に出てくる善き魔女が奏でているような、キュートな「my favorite things」。演奏者みんながはじけちゃいそうに可愛かった「黒猫のタンゴ」。「キラキラ星」はちょうどコハシが保育園で覚えてきたところだったので一緒に歌えたし、「村祭」は迫力ある演奏に親子で釘付けになった。「We will rock you」は何と混ぜてもかっこよくなる名曲だと思いますが和太鼓と合わさるとまた格別だな!

あれだけ楽器と楽曲の解説を詰め込んで、物語も進めて、どっちのクオリティもよくて、なんて贅沢な番組なんだろう。制作者の皆さま、楽しかったです。本当に楽しかったです。ありがとうございました。最後の最後が「エイトメロディーズ」で、メロトロン号の演奏でこの曲が聴けるのが嬉しくもあり、本当に終わるのだなあと実感してさみしくもあり、ブートラジオを受信してあえかに瞬く電球の光、いやあ、きれいな最終回でした。

 

www4.nhk.or.jp

columbia.jp

ムジカ・ピッコリーノ Mr.グレープフルーツのブートラジオ(仮)

ムジカ・ピッコリーノ Mr.グレープフルーツのブートラジオ(仮)